「合唱コンクールで口パク」学校生活での悩みと苦労
――悩み始めたのはいつ頃だったんでしょうか。
舩橋 小学校高学年ぐらいです。最初は、自分がつけている補聴器がみんなに見られているんじゃないか、補聴器がすごく目立っているんじゃないかと気になり始めて。そこからは耳を出すヘアスタイルができなくなりました。
――ほかにも学校生活において苦労する部分はありましたか。
舩橋 普通のことが普通にできないのが嫌でした。席替えひとつとっても右耳が聞こえないから窓側の席はダメだし、先生から遠くなると聞こえづらいから前方の席に座れるような配慮をお願いしていました。
みんながドキドキする席替えなのに、私にはその選択肢がない。そういうとき、自分が普通じゃないと突きつけられる感じがしました。
音楽の歌のテストも本当につらくて。自分の声が自分でよく聞こえないから、音程がとれないんです。難聴が原因で音程が外れると、周りが気遣い、反応しにくくて「シーン」となる、あの空気はきつかったです。
もちろん、笑われていたらそれはそれできつかったと思うんですけど。どちらにせよ、針のむしろって感じで、今でも思い出すと心がキュッとなります。
合唱コンクールや校歌斉唱でも、自分が歌うことで周りのハーモニーを崩したくなくて、小学校から高校までずっと自主的に口パクでした。歌うことは好きだから、みんなと一緒のハーモニーで歌えたら楽しかっただろうなぁって思います。
子供の頃は研究者になりたかった
――子供の頃の夢はありましたか。
舩橋 卒業文集に書いていたのは「研究者になりたい」でした。実際、通った北海道教育大学札幌校では雪や氷の研究をしましたし、夢が叶いました。もともと大学を選んだ理由も雪や氷の研究ができる研究室があったからでした。
――どんな研究をされたんですか。
舩橋 フロストフラワーという海氷や湖氷の上に霜の花が咲く現象があるんです。それを実験室で作る研究をしました。

