「実家に帰りたい」義母から返ってきた“意外な答え”
和は、稲を刈る手を止め、腰を伸ばしながら額の汗をぬぐった。茜色から紫色に変わろうとする空に、那須岳が黒く浮かび上がっている。小作たちは皆家へ帰り、辺りには誰もいない。田圃の向こう側に小さく見える家々からは、夕餉の炊煙が上がっている。美しい景色だと思う。しかし、ここに骨を埋める気にはなれない。
和は野良着の上から腹に手を当てると、意を決したように鎌を投げ捨て、「嫁田」を後にした。もう二度とここに戻ってくるつもりはない。翌日、和は義母に2人目を妊娠したことを告げ、体調が思わしくないのでもう田圃へは出られないと宣言する。そして、六郎のときはここで出産したが、今度はどうしても実家で産みたいと主張した。
意外にも義母は里帰り出産に反対しなかった。それどころか、結婚以来一度も実家に帰っていない和に、六郎も連れて行き、母親に顔を見せてやるようにと言う。「物言う嫁」を懐柔しようとしたのだ。おかげで和は六郎と一緒に、柴田家が用意した人力車で上京することができた。
年が明け、明治13(1880)年春、和は女の子を出産。「心」と名付ける。離縁するつもりであることを明かすと、母哲は世間体が悪いと大反対したものの、孫かわいさに同居を認めた。
柴田家に手紙で離縁の意思を伝えると、驚いた義父母が使用人を迎えに寄越した。和は翻意する気はないと言い張り、使いを追い返す。その後、離婚が成立したが、安心したのも束の間、ある日忽然と六郎が姿を消す。柴田家の使いが大事な跡取りを取り返しにきたのである。柴田家と大関家の間で六郎の奪い合いが始まり、最終的に六郎が和のもとに落ち着くまでに、1年を要した。
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