今から約70年前、熊本県水俣市でカラスや魚が大量死し、猫が狂ったように踊りながら死んでいく不可解な現象が発生。同時に、幼い姉妹をはじめ住民たちも次々と原因不明の激しい痙攣や麻痺に襲われる。

 日本の公害史上、最も悲惨と言われる水俣病はなぜ起きた? 鉄人社の新刊『高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件』よりお届けする。(全2回の1回目/続きを読む

写真はイメージ ©getty

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水俣病はなぜ起きた

 1950年代半ばから1960年代にかけて、熊本県最南部の八代海(別名:不知火海)の水俣港に面した水俣市で、魚介類を食べた多くの住民が様々な中毒症状を発症した。

 原因は化学メーカー、チッソの水俣工場が水俣湾に排出した廃棄物に含まれていたメチル水銀で、これを口にした魚を介して人間に深刻な健康被害をもたらした。

 が、加害企業であるチッソはこの事実を隠し続け、結果、被害を拡大させる。四大公害病の中でも最も悲惨と言われる水俣病は世界的関心事となり、その裁判は現在も続いている。

 1956年(昭和31年)4月21日、水俣市在住の当時5歳の少女(8歳で死亡)が、2日後の23日に2歳の妹(2025年4月時点で存命)が歩行障害や言語障害、痙攣などの症状を訴え、新日本窒素肥料(後のチッソ)水俣工場付属病院小児科に入院した。

 姉妹の母親は、近所にも同様の症状を示す子供がいることを報告。病院側の調査でさらに8人の患者が発見され、入院する。医師たちはそれまで見たことのない病状に困惑しつつ、5月1日に地元の保健所へ「原因不明の中枢神経系疾患の流行」を伝える。

 これが正式に水俣病が確認された初の事例である。