企業城下町が選んだのは、命ではなく「経済」だった。原因がチッソ水俣工場と判明した後も操業継続を望む声は大きく、被害者らは孤立。路上で人糞を投げつけられるほどの差別を受けたことも。さらに国も経済成長を最優先とし、結果として汚染は恐るべき拡大を遂げていく。
「戦後最悪の公害事件」とも言われる「水俣病」の歴史を、鉄人社の新刊『高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件』よりお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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水俣病を引き起こした犯人
疑惑の目を向けられたチッソ水俣工場は1908年(明治41年)に化学肥料生産のために建設され、戦後は塗料、プラスチック、合成ゴム、塩化ビニールなど化学製品を製造していた。
その主原料となったのが「アセトアルデヒド」で、この製造過程で毒性の高いメチル水銀が発生。水銀を含んだ廃棄物が水俣湾に流出していた。
チッソは自社が雇った研究者の検査でその事実を把握しながらも廃棄物の垂れ流しを続け、結果、水俣病を発症させる。が、熊大の研究者により病気の原因が自社にあることが徐々に判明してくると、疑惑を全否定。
1959年、工場に「サイクレター」という排水浄化装置を導入し、当時の社長がコップにくんだ水を飲んでみせるというパフォーマンスまで行う。
もっとも、この装置は水銀を浄化するものではなかったが、チッソは自分たちに非がなく、工場の排水に毒性がないことをアピールした。
