国民的RPG『ドラゴンクエスト』はいかにして誕生したのか。その裏には、現代の常識では考えられないような“奇跡的な出会い”と“ムチャクチャな戦略”が隠されていた。

 ボードゲーム会社を経営する渡辺範明氏の著書『国産RPGクロニクル ゲームはどう物語を描いてきたのか?』(イースト・プレス)の一部を抜粋し、往時のエニックスの様相を紹介する。

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新卒がいきなりゲームプロデューサー?

 僕自身の経歴も、エニックスはもともと企画会社である(=社員は企画者&ビジネスマンであってクリエイターではない)というビジネススタイルの影響の一例といっていいでしょう。僕は大学在学時、新卒者募集のメニューにあった「プロデューサー採用」というコースに応募し、なんとか採用されてエニックスに入りました(実際には4年生で留年してしまったので、2年連続で就職活動をすることになり、しかも1年目は落ちていますが……)。つまり、職種としては入社当初から「ゲームプロデューサー」だったわけで、これも業界的には異例中の異例といえます。

 もちろん実務上は、入社当初は先輩プロデューサーの下についてアシスタント業務からはじめるわけですが、そのアシスタント業務=修業期間からの卒業も異常に早く、「ひとりでの担当プロジェクトができたら、その時点で君たちはプロデューサーだからね」という考え方でした。実際、僕がその意味でプロデューサーになったのは、入社してから1年以内のことだったと思います。

 普通はゲーム業界でプロデューサーというと(他の業界でもそうだと思いますが)、まず現場のスタッフとして企画、プログラム、アート、サウンドなど何らかの技術を磨き、一定のキャリアを経たうえでそのセクションのチームリーダー、いわば中間管理職となります。その中間管理職から一部の人が抜擢され、開発チーム全体を仕切るディレクターとなったり、ビジネスやマネジメントのスキルが高い人がプロデューサーになったりしていく……という流れが一般的です。

 新卒1年目の、去年まで学生だった若造がいきなりプロデューサーを任される、というのは狂気すら感じさせる非常識なシステムですが、その源流には企画会社としてのエニックスの思想「社員はゲーム開発における編集者である」という考え方が宿っているわけです。