その反面、このやり方は一作品が完成するごとにチームが解散してしまうので、エニックス社内には開発ノウハウがあまり蓄積していきません。PS時代、『バストアムーブ(*3)』『せがれいじり(*4)』などアイデア勝負でゲームがヒットしていた時代までは適していたのですが、PS2時代を迎え、ゲーム開発が大規模化してくると、だんだんアイデアよりもそれを実現させる技術力の勝負になっていきます。
*3 メトロが開発し、1998年にエニックスから発売された音楽ゲーム。宇宙からやって来た謎のエネルギーを宿した者たちが、ダンスのカッコ良さを競い合う。翌年に『バスト ア ムーブ2 ダンス天国MIX』が発売。
*4 1999年発売。「セケン」内にあるオキモノを調べて「作文」を完成させ、新たなオキモノが出現……を繰り返してストーリーを進める。原作者は『ウゴウゴルーガ』のCGを担当した秋元きつね。
これがゲーム開発における「スタジオワークの時代」の到来です。実際この環境変化により、2000年代にはハリウッド映画的な大規模スタジオワークのノウハウを確立した欧米のゲームメーカーが一気に勢力を強め、1990年代まで圧倒的トップ集団だった日本のメーカーは苦しい立場に追い込まれていきます。エニックスはこの難局を、日本でも最大級の開発部門を抱えていたスクウェアと合併することで乗り越えようと図ったのです。
スクウェアの悩み
一方、スクウェア側の悩みは「会社規模のわりに発売タイトル数が少ない」ということでした。
社内で1000人以上を抱えている開発スタッフを食わせていくためには、数年に1本しか発売されないFFの新作だけでは足りません。
本当はもっとコンスタントに多数の商品をリリースしていかないと組織が維持できないのですが、PSで『FF7』を発売して以来の確執から、当時スクウェアは任天堂との取引が完全に停止してしまっており、実質的にはPSかPS2でしかゲームを出すことができない状況でした。
となるとせっかく作ったゲームを複数のハードに移植したり、据え置き型ハードよりも小規模なゲーム制作が可能な携帯ハード向けの新作を作ったりということができず、せっかく豊富な開発資源を活かすマネタイズ手段、つまり「ゲームの出口」が少なかったのです。