低い期待値でのスタート
初代『ポケモン』の発売当時、ゲーム専門誌での特集記事などはほとんど無く、僕がこのゲームの存在を知ったのも『週刊ファミ通』の編集コラム的なコーナーで「今、編集部で話題になっているゲーム」として紹介されていたのが最初だったような記憶があります。つまり、情報通にはゲームデザインの独自性などが伝わり、話題になっていたわけですが、それでも「知る人ぞ知る」というムードの注目度でした。
また、2000年代に僕が新入社員としてエニックスに入社した後、先輩プロデューサーが「昔、開発途中のポケモンを田尻さんに見せてもらったことがある」と話していたことがあります。「あの時俺が猛烈にアタックしていれば、うちからポケモンを発売できたかもしれないのになあ……」という飲み会にありがちな後悔トークで、まあ話半分に聞いておくか、という感じだったのですが、「でも、あの段階ではポケモンがこんなに売れるとは想像もつかなかったんだよなあ……」という感想は、そりゃそうだったんだろうな、という実感のこもったものでした。
そしてこの話は毎回、「まあ、もしエニックスから発売していたら、ポケモンはこんなにヒットしていないよね」という自虐オチで終わっていたので、それもまた、我々の実感だったのです。
つまり、ゲームというのは、作品としてのゲームの出来不出来だけでヒットするものではなく、商品としてのゲームをいかに世の中に紹介していくか? そのプロデュース次第で10倍にも100倍にも化けるものなのです。
最終的に、初代『ポケモン』は全世界で累計3000万本を売り上げることになりますが、なぜ、普通の座組みではそれは実現できないのか? なぜ、任天堂自身が最初に決めた初回生産23万5000本から大きく逸脱した結果が出せたのか?
ここに当時のゲームと雑誌メディアとの、深い関係性が見えてきます。
