『「あの戦争」は何だったのか』がベストセラーとなった近現代史研究者・辻田真佐憲氏の新連載「『戦後』の正体」がスタートした。戦後の日本における憲法九条と平和のあり方をテーマとした第3回から一部を紹介します。

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1950年の「隠された記憶」

 戦後日本は平和国家であり、戦死者をひとりも出していない。それは、憲法九条のおかげだ。しばしばそのような主張を耳にする。それはたしかに麗しい物語かもしれないが、戦後日本にまつわる神話のひとつというべきだろう。というのも、現行憲法のもとでも日本はすでに「戦死者」を出しているからだ。

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辻田真佐憲氏(筆者提供)

 その歴史は、日本がまだ占領下にあった1950(昭和25)年にさかのぼる。

 同年6月、北朝鮮の奇襲により朝鮮戦争が勃発した。当初、米軍を主力とする国連軍は釜山周辺まで追いつめられるなど苦戦を強いられたが、9月に国連軍司令官を兼ねたマッカーサーの指揮による仁川上陸作戦がみごとに成功し、ソウルの奪還を果たした。

 勢いづいた国連軍は、続いて日本海側の元山への上陸も企図した。その際に大きな障害となったのが、北朝鮮が海上に敷設したソ連製の機雷だった。機雷は艦船に接触して爆発する。そのため、上陸作戦における重大な脅威だった。

 そこで米軍が白羽の矢を立てたのが日本だった。敗戦の時点で、日本近海には戦時中に敷設された機雷が多数残されていた。日本は旧海軍の人材も活用しつつ、その撤去作業にあたっており、実績ある掃海部隊を有していた。そのため朝鮮沿岸での掃海も要請されたのである。

 もっとも、今回の任務は戦後処理ではない。戦闘が行われている海域への派遣だ。憲法九条との兼ね合いも考えなければならない。それでも当時は講和条約の締結が重要課題となっており、米国からの要請を無下にすることも得策ではなかった。

 最終的に、吉田茂首相が掃海部隊の派遣を決断した。ただし、国内外に余計な波紋を広げないように、派遣は極秘裏に行うことになった。