こうして同年10月、特別掃海隊が編成され、山口県の下関港より朝鮮沿岸へと密かに出動した。当時、掃海部隊は海上保安庁の所属だったため、隊員たちは同庁の職員だった。派遣先は元山にとどまらず、黄海側の群山、海州、鎮南浦にも及んだ。秋から冬にかけての荒天のなかで作業は難航し、任務は危険と背中合わせだった。

吉田茂は外交官出身 Ⓒ時事通信社

 案の定、10月17日、元山沖で掃海艇MS14号が機雷に触れて爆発し、1名が死亡、18名が重軽傷を負う事故が起きた。また、死傷者はいなかったものの、同月には別の掃海艇が群山沖で座礁した。

 このとき犠牲となったのが、当時21歳の中谷坂太郎だった。国家の命により、戦争にともなう掃海任務に従事して、そのさなかに命を失った。戦後日本の出発点を考えるうえで、看過してはならないできごとである。

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「瀬戸内海で殉職」と箝口令

 にもかかわらず、中谷の死は長らく公にされてこなかった。政治的にきわめて厄介な問題を含んでいたため、伏せられていたからだった。

 事故から数日後、瀬戸内海に浮かぶ山口県屋代島にある中谷の実家を米兵が訪れた。そして家族にその死を告げたあと、「朝鮮戦争で殉職したことが公になると、国際問題になりかねない。瀬戸内海での掃海中に殉職したと受け止めてほしい」と口止めしたという(「『平和憲法下の戦死、二度と出さないで』朝鮮戦争出動隊員の遺族」『朝日新聞』1990年11月5日夕刊)。

1950年に発足した警察予備隊 Ⓒ時事通信社

 兄の中谷藤市は、このできごとについて複数の証言を残している。ただし、その内容には細かな違いがある。

 実家を訪ねたのは、米軍将校に通訳、海上保安庁職員であり、「日本は憲法で戦争放棄をうたっている。もし、これが公になったら国際問題になる」と、憲法九条を引き合いに出してきたというものもある(「シリーズ戦争と人間 第9部〈極秘裏の掃海隊〉(10)弟の死 米軍将校が口止め」『神戸新聞』2016年12月20日朝刊)。

 ただ、「瀬戸内海での殉職」ということにしてほしいと求められた点は、おおむね一致している。証言に揺れが見られるのは、長らく公に語ることができなかった影響もあるのだろう。

※本記事の全文(11000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2026年6月号に掲載されています(辻田真佐憲「『戦後』の正体」)。

全文では、以下の内容が語られています。
・政治的な妥協だった憲法九条
・自衛隊合憲論の移り変わり
・「日本も核武装すべきだ」

文藝春秋

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「戦後」の正体

出典元

文藝春秋

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