硬貨の重さをコンマ数グラム削り取って戦闘機を作る。金属が尽きれば、次は陶器でお金を作る計画を立てる――。敗戦が近づくにつれ、日本の戦時金融は常軌を逸した「狂気」と涙ぐましい徒労に飲み込まれていった。(全2回の2回目)
(初出:「文藝春秋PLUS」2026年4月23日配信)
太平洋戦争中の日本では、金融という舞台において想像を絶する事態が静かに進行していた。文藝春秋PLUSの番組「+HISTORY」に出演した防衛研究所主任研究官・小野圭司氏は、著書『太平洋戦争と銀行』(講談社現代新書)をもとに、この知られざる実態を語った。
「0.1グラム削って、年間100機」の現実
戦時中、硬貨の素材は次々と軍事目的に転用された。まず標的となったのは、硬い鋼板を作るために欠かせない希少金属・ニッケルだ。戦時需要の高まりとともに「硬貨にニッケルを使っている余裕はない」と判断され、余ったニッケルは軍事用に回された。
次のターゲットはアルミだった。航空機の機体に使われるジュラルミンはアルミ合金であり、その需要は戦争の激化とともに膨れ上がっていた。造幣局は低額硬貨のアルミの直径を小さくし、厚さを薄くすることで、1枚あたり0.1~0.2グラムという単位で「余剰分」を絞り出した。
小野氏はこの数字を元に、試算したという。「当時のアルミ硬貨の発行枚数と、0.1グラムを掛けて、どれぐらいの飛行機が作れるか」――その答えは年間100機だった。一見、驚くべき数字に思えるかもしれない。しかし昭和19年の日本の年間航空機生産数は1万5000機に達しており、「100機では焼け石に水ですかね」と小野氏は語った。
「陶器の貨幣」と海底に眠るゴールド
さらに戦局が悪化すると、アルミ硬貨の発行そのものが不可能になった。代替案として浮上したのが「陶器の貨幣」である。 第一次世界大戦末期のドイツで、陶磁器の名産地マイセンが陶器硬貨を製造・流通させた前例があった。日本でも清水焼、有田、瀬戸などで陶器貨幣の製造が進められた。しかし、完成品を倉庫に保管しているうちに終戦を迎え、すべて廃棄された。実際に市中に流通することはなかった。
それと並行して、少額紙幣の発行も行われた。今でいう100円玉や500円玉に相当する硬貨が作れなくなり、代わりに紙幣として発行した。
