一方、同盟国との関係においても、金(ゴールド)は重要な役割を担っていた。ドイツは日本に対して技術供与の代金を「金をそのまま輸送してきてくれ」と要求した。銀行間の為替送金ではなく、金塊そのものを潜水艦で運ぶという命がけの手段が選ばれた。

「2回トライして、1回は撃沈された」

「2回トライして、1回は撃沈された」と小野氏は語る。その潜水艦とともに、数トンの金塊が今も海底深くに眠っている。残る1回は大西洋でドイツの潜水艦と無事に合流し、金の受け渡しに成功したという。

 

 硬貨を薄く削る地味な努力から、陶器の貨幣、そして潜水艦による金塊輸送まで――戦時日本の金融は、追い詰められながらも最後まで「できる手」を模索し続けた。

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 しかし、国家のシステムが崩壊していく中で、現場の人間たちはどう動いたのか。ソ連軍が迫る満州で、金庫の現金をリュックに詰めて逃げた名もなきバンカーたちの凄まじい使命感。そして、現代のウクライナ紛争における「暗号資産」の動きにも通底する「有事における通貨の信用」とは何か。歴史から私たちが汲み取るべき教訓の全貌は、動画の中にある。

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