盛り上がりと衰退が同居する、矛盾に満ちた業界。果たしてストリップは「消えゆく昭和のエロス」なのか、それとも新たな可能性があるのか。踊り子やファンの話から、ストリップの「現在地」を探ってみた。
踊り子は街に客を連れてくる
「毎日300人くらいはお客さんが入っていましたね。カランカランと下駄の音が聞こえると、団体さんが来たなとわかるんです。床がコンクリートだから、よく響く。その音は、今も耳に残っています」
踊り子としてデビューして30年余り、あわらミュージックに数百回出演してきた相田樹音さんは、新人だった1990年ごろを懐かしそうに語る。当時の劇場は活況そのものだった。70席ほどの客席は埋まり、観客が通路に座ることも珍しくなかった。
バブル景気に支えられ、企業の宴会や社員旅行が盛んだった時代。芦原温泉の旅館の従業員が、宿泊客を劇場に連れてくることも多かった。
「踊り子は客を連れてくる存在として、街全体から大切にされました。10日間の興行を終えて別の劇場へと旅立つ時には、喫茶店のママや土産物屋の店主が『行ってらっしゃい、また来てね』と声をかけてくれる。そういう街の優しさがありました」
だが、にぎわいを見せていた温泉街の姿は、時代とともに様変わりした。団体客は姿を消し、徐々に客足は遠のいていく。さらに打撃を与えたのが、新型コロナの影響だった。当然ながら、あわらミュージックもそうした渦に巻き込まれていった。
あわらミュージックは、地元に根を張る資産家が70年ほど前に数千万円を投じて建設した由緒ある劇場で、2階席を備えた豪華な造りが特徴だ。だが、老朽化によって雨漏りや設備の故障が相次ぎ、修繕を重ねてきた。訪れる客が減る中で、修繕費も含めた維持費が経営に重くのしかかる。
閉館の判断を、相田さんは「劇場を続けようとギリギリのところで踏ん張ってきたけれど、もう限界ということなのでしょう」と静かに語る。
