空港で来日のニュースを見て、綱渡りの交渉
それは2006年の5月のことだった。
「黒木(彰一)プロデューサーから『マドンナに出演のお礼を言いに行くんだけど、おさむさんも行かない?』と誘われて、ラスベガスのライブに出向いて、羽田空港に帰ってきたんです。そうしたら空港で『マイケル・ジャクソンが来日』というニュースが流れたんです」
『マイケル・ジャクソン全記録1958-2009』(エイドリアン・グラント/ユーメイド刊)によれば、マイケル・ジャクソンは5月27日に来日してMTVジャパンのビデオ・ミュージック・アワードに出席、その後はディズニーランドやビックカメラに赴いて日本の旅を楽しんでいたという。
「『もしかしたらこれ、出演のタイミングなんじゃない?』と、黒木・春名(剛生)の両プロデューサーが探っていたら、どうやら椿山荘に泊まっているということがわかって。もしかしたら交渉する余地があるかもしれない、と」
その週の収録日は5月31日、もう時間はなかった。しかも交渉がうまくいくのか、そもそも交渉ができるのかすらわからない。なので、当然SMAPのメンバーも、ことの次第を知らない。
「出演することになったとしても、メンバーにはサプライズにしたいと思っていました。ただ、そもそも出演する可能性があるかどうかもわからない。収録当日の午前中に、ホテルの会議室でプロデューサーのふたりが交渉をしていたんですね」
交渉はまさに綱渡り。ギャランティの交渉額が1000万円を超えたとき、それはひとつの番組内で判断できる案件ではなくなっていた。
「フジテレビの上層部から『そんなにマイケルを出したいのか?』と聞かれて、プロデューサーは『出したいです。マイケルの映像をフジテレビのアーカイブに残したいし、何よりSMAPに会わせて、その時の彼らを視聴者に届けたい』と言ったそうです」
スタッフの熱意に局からもOKが出て、交渉を続け、ついに出演が決まった。そのころには、ギャランティの額面は2000万円になっていたという。



