「悪いのは浅はかな自分だ」
森が対局や仕事から帰宅すると、恵美子は夫をそのまま近くの公園や駅前のモスバーガーに連れて行く。そこで1時間にわたってその日の山崎のことを話し続けた。愚痴を聞いてもらわなければ、やりきれなかった。
恵美子は「あの頃は新婚生活をこんな風にしてしまって、夫に申し訳ない気持ちで一杯だった」と言う。だがいまになって、山崎のことをもっと理解してあげられればよかったと思う。あるとき、恵美子が洗面所を開けたときのことだ。山崎が制服のワイシャツを自分で洗っていた。ハッとした。彼なりに気を遣っていたのだと知って、自分の軽率さを恥じた。何の経験もないのに、他人の子を預かりたいだなんて……。
「山崎くんは悪くない。悪いのは浅はかな自分だ」
恵美子は自分にそう言い聞かせた。
徳島に住む森の友人が訪ねてきたときのことだ。棋士になる前にお世話になった人で、恵美子も会えるのを楽しみにしていた。夫婦と友人で宝塚ファミリーランドに行く予定を立てる。ところが山崎がその日に日本脳炎の予防接種があって、学校とは別のセンターで行うため父兄の付き添いが必要だと言い出した。「中学生で付き添いが必要なの?」と言うと、「ここにそう書いてあります」と学校からのプリント用紙を見せる。それならば仕方ないと、恵美子は予防接種が終わってから合流することにした。
当日、センターへ行ってみると、来ている保護者は1人もいない。「やはり付き添いは必要なかったんじゃ……」。そう思ったが少しその場に止まることにした。様子を見て山崎に「私、もう帰って大丈夫かな?」と言うと礼を言われることも詫びる様子もなかった。客人を待たせていたので、ファミリーランドへと急ぐ。暑い日で汗が額を伝った。走りながら言葉が口をついた。
「もう、いったい何なのよ」
こんな自分が情けなくなって、涙がこぼれ落ちた。
写真=野澤亘伸
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