山崎隆之「震災の日の記憶」

 震災のときでも、正直私の中では将棋が全てでした。師匠が言われたような“精神的な反動”というわけではなかったです。言い訳ではありますけれど、親族も含めて人が亡くなるという経験を知りませんでした。人の死を実感できず、悲しいという感情がわからなかった。

 体育館に震災で亡くなった方の遺体が並べてあって、親族の方が泣き叫んでいる光景が脳裏に映像として残っています。そういう中で、自分が普通に将棋のことを気にしていたのは、子ども心にもおかしいんじゃないかと感じました。生の根源への激しい悲しみを前にして、自分には人を思いやる気持ちが足りないんだとわかったんです。

 船越さんのアパートは木造の建物で、1階がぐしゃっと潰れていました。ガスの匂いが充満していて、とても怖かった。でも奥様のお父さんは2階の窓から躊躇いなく入っていって。僕もついていったけど、下は埋まっているし、窓から差し込む光だけでは暗くて見えない。お父さんは大きな声で、船越さんの名前を呼び続けていました。「まだ埋もれているかもしれない」って。中にいた数分間、僕は自分のことばかり考えていたけど、お父さんは助けたい気持ちしかなかった。師匠もそういう気持ちが咄嗟に浮かぶ。でも僕には浮かばない。人として大切なものが欠けているんだと知って、それからの十代後半はすごい劣等感がありました。人並みの感情を求めて、普通に友だちと遊んだり、見よう見まねで処世術を身につけようとしました。でも結局作り物みたいな感情でしかなかった。

 結局、変わったわけじゃないですね。自分はやっぱり変われなかった。人の感情や心は、いまでもわからないです。ただ、その人がどれだけ辛い状況なのかを、計れるようになったというか。それまで気にならなかったことを、気にできるようになっただけです。

 将棋に関しても、あのままいっていたら、みんなから相手にされなくなって全然ダメになっていたかもしれません。船越さんみたいに、先輩から「こいつ熱いな、いいやつだな」と食事に誘われることもなかったですから。

 森は山崎を叱ったとき、人を思いやる気持ちがないのは両親にも責任があると言った。広島に帰らせた後、山崎からすぐに手紙がきた。そこには「先生、すみませんでした。悪いのは僕です。お父さんとお母さんは悪くありません」と書かれていた。

 

写真=野澤亘伸

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 森信雄七段・山﨑隆之九段の師弟を描いた「ガラスの内弟子時代」の全文は、『師弟 棋士の見る夢』(光文社)に掲載されている。

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