江戸時代に起きた“丸亀ブーム”

 丸亀の港、江戸時代後期には金比羅宮を参拝する人たちの上陸地として、四国では一番の活気に満ちた港だったのだとか。

 

 対岸の下津井港とも結び付き、お伊勢参りと双璧を成した金比羅参りブームを支えた輸送の一大拠点だったのである。

 

 いくつもの旅籠が港に軒を連ねて昼も夜もない賑わいぶり。日本中あちこちの町の大商人からの寄進による灯籠があちこちに建てられて、夜な夜な煌々と金比羅街道を照らしていた。

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 もともとは藩財政立て直しのために奨励されたうちわは、いつしか丸亀土産の定番に。かくて、丸亀は四国でも指折りの商業都市になったという。

 丸亀駅は、そんな町の玄関口として1889年に開業した。当時は私鉄の讃岐鉄道。開業したのは丸亀~琴平間で、現在のJR四国の路線では最も古い。

 

 船は帆船から蒸気船になり、陸の移動は徒歩から鉄道へ。そんな移り変わりの中にあっても、丸亀から琴平、つまり金比羅宮への参詣ルートが最優先されたのだ。

 このあたり、金比羅参りの入口にあたる丸亀という町が、いかに重要な存在だったのかがよくわかる。

四国でいちばんの港だった歴史

 丸亀駅に戻ると、駅の北口広場にも灯籠が立っていた。いまや、金比羅宮を詣でるには丸亀の町を歩かずに特急「南風」にでも乗れば岡山駅から1時間ほどで最寄りの琴平駅にも着いてしまう。

 

 丸亀の海も、いまでは埋立が進んで工業地帯化している。金比羅参りの賑わいは過去のもの。

 

 けれど、駅前と港の灯籠が、かつての四国でいちばんの港だった歴史を伝えている。

撮影=鼠入昌史

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