――しかし、づけとごさんが熱心に通っていた1998年12月28日に、「中国料理中本」は閉店します。そのときはどんな心境だったのでしょうか?
づけとご あのときは「もう食べられないのか」とショックでした。でも、もうなくなってしまったので、しょうがないという諦めもありました。
――よく行っていた店がなくなってしまう感覚ですね。
づけとご 閉店直前にも食べに行きました。最後に思いっきり食べて、体に味を染み込ませたつもりでした。しかし、翌月にはもう食べたくてしょうがなかったです。
――その間、別のラーメン屋に行ったりは?
づけとご もちろん。辛いラーメンをたくさん食べました。でも、全然満たされなかった……。同じように辛くても、全然違うんですよ。
「約1年間は、本当に地獄でした」閉店した中本が「再オープン」した時の心境
――そんな中、2000年2月10日、今の社長である白根誠さんが継いで「蒙古タンメン中本」がオープンします。
づけとご これができるまでの約1年間は、本当に地獄でした。だって、地球上のどこにも中本が存在しなかったので……。
――本当の“世紀末”ですね。
づけとご だから、再開したときは本当にうれしかった。
――味は変わっていましたか?
づけとご 白根さんが継いだことで、「このやり方は良くなかった」という部分は改善されました。作り方も効率化されていたこともあり、多少は変わりました。それでも、基本の味は変わらなかった。ベースの味がしっかり残っていたので、魂を揺さぶられましたね。
激辛を極めることが目的ではない…中本の楽しみ方とは?
――やはり、中本は理想の辛さだったのですね。
づけとご でも、中本は北極ラーメンを食べることが“ゴール”ではないんです。激辛を極めることが目的ではなく、中本全体を楽しむのが面白いんですよ。
――なんだか哲学的になってきましたね。
づけとご 辛くないものから少しずつ上がっていくのが楽しいんです。味噌タンメン、蒙古タンメン、辛さ2、3……という具合です。別に北極までたどり着けなくても楽しいし、たどり着けたらそれはそれで楽しい。
――まるで、登山のようですね。
づけとご その通り。北極ラーメンまで行って、「一番辛いところまで来た」と思っても、また麓に降りてくると、違う味が見えてくる。辛くないメニューを食べると、「これもおいしいな」と感じられます。
――そして、また登りたくなる。
づけとご そう。登って、降りて、また登る。僕はそれを繰り返しているのです。
撮影=杉山秀樹/文藝春秋
その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。

