――今の明るいお姿からは、想像もつかない壮絶な過去ですね……。

三上 そうですね……。お母さんは仕事で忙しいから、手料理を作ってもらった記憶がほとんどなくて。だからいつも、ご飯は冷凍のオムライスやたこ焼き、スーパーの半額のお弁当ばかりでした。昔食べすぎたからか、今でも冷凍食品は見るのもイヤですね。もしかしたら、あの時は給食だけがまともなご飯だったかもしれません。

 中学生になると、“次、いつ食べられるかわからへん”みたいな感覚があって、とにかくカロリーの高い菓子パンを選んで食べていました。

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©︎鈴木七絵/文藝春秋

――カロリーを徹底的に管理している今とは、全く真逆ですね。

三上 それが自分の中では普通やったんです。そんな中で、友達のお母さんが異変に気づいてくれて、今日泊まっていきな、って言ってご飯を作ってくれたんです。「手づくりのご飯ってこんなに温かくて美味しいんや!」って、感動しました。

 その友達のお母さんが児童相談所に電話してくれたんですけど、結局保護されるとかもなくヒアリングされただけで終わってしまって。お母さんも家になかなか帰ってこなくなっちゃったりして、その後は友達の家に泊まらせてもらってなんとか暮らしていました。今思うと、本当に友達に生かされてたなって思います。

学生時代の三上さん 本人提供

とにかく自立して、自分で稼いで食べていけるようになりたかった

――今の三上さんからは想像もつかない、壮絶な子供時代を過ごされていたんですね……。当時から『早く大人になりたい』というお気持ちは強くおありだったのでしょうか。

三上 そうですね。とにかく自立して、自分で稼いで食べていけるようになりたかった。早く家を出たくて、中学を卒業してすぐに入れる全寮制の看護学校を選びました。

看護学生時代の三上さん 本人提供

 寮の門限は18時でしたが、付属の病院で働けば20時までOKやったので、平日は朝7時起きで学校に行って、授業が終わったら夕方から病院で20時までバイト、土日も朝から病院で、17時に終わったら居酒屋で深夜まで働いて。もちろん終電がないので、寮が開く時間までネカフェで寝て帰る生活をしていました。あの時は、1年365日、1回もお休みがなかったですね。