――食料はどのように調達していたのでしょうか?

松岡 これも、自衛隊の方が物資を運んでくれました。また、台風の数日後からスーパーが少しずつ営業を始めてくれたので、食べること自体には困らなかったです。

 一足先に電気や水道が復旧したご家庭から、「これ作ったから食べな」と温かいごはんを差し入れてもらうこともありました。しばらく冷たいレトルト食品ばかり食べていたので、ありがたかったです。

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被災後は節水生活を送っていたという(本人提供)

「私は一人でこの島に来たけど、今は一人じゃないんだな」

――島民同士で助け合いながら、大変な時期を乗り越えたのですね。

松岡 そうですね。私の住む地域より水道の復旧が早い地域に住む方たちが、うちまでポリタンクを届けに来てくれたこともありました。同じように、我が家の水道が復旧したら、うちより復旧が遅かった地域に、私も水を届けに行って。

 大変だったけど、「私は一人でこの島に来たけど、今は一人じゃないんだな」と実感できて、なんだか嬉しかったですね。

――そうした関係性は、八丈島ならではのものなのでしょうか?

松岡 私は移住して4年目なので、昔の八丈島がどうだったかは分かりません。でも今の八丈島には、「これいっぱい採れたからあげるよ」「これ作りすぎたからあげる」というやりとりが、日常的にあります。

  それに今回の台風では、「火事場泥棒」のような被害はほとんど聞きませんでした。狭い島だから、見かけない人が歩いていたら、誰かがすぐ気づくんです。

 みんなが、お互いの存在をなんとなく見守っている。そういう関係性があるからこそ、普段の「あげる、もらう」のやりとりも、災害時の助け合いも、自然に生まれるのかなって思います。

八丈島(本人提供)

――松岡さんは、Xで八丈島の台風被害や復旧状況を発信していましたよね。それも、助け合いの一環だったのでしょうか。

松岡 私もみんなの力になりたい、という思いはありました。台風が直撃したとき、私は島にいなかったので、一番大変なときに何も出来なかったって、後悔していたんです。

 島に帰ってきたら、飲食店の方たちは炊き出しを、ホテルの方たちは部屋の貸し出しをして、みんなそれぞれにできることを頑張っていました。

 ただ、その情報が、必要としている島民に届いていない場面も度々見かけて。そこで、専用のアカウントを作って、情報をまとめて発信することにしたんです。