歌手・俳優の中尾ミエがきょう6月6日、80歳の誕生日を迎えた。中尾は終戦の翌年の1946年、福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)に生まれている。終戦後の占領期には、小倉にも米軍キャンプが設けられ、ラジオでは米軍人とその家族向けの放送であるFEN(現AFN)が聴けた。中尾も母親が洋物好きだったので、FENから流れるジャズを聴いて育ったという。(全3回の1回目)
父親が祖父の設立した教材販売会社を継いでいたので、中尾が幼いころは家は比較的裕福だったようだ。母は専業主婦だったが、6人も子供がいて面倒を見切れなかったらしく、姉たちはみんな習い事をさせられ、4番目の子供(三女)である中尾も3歳からピアノ、バレエ、タップダンスを習っていた。とくに好きでやっていたわけではないが、そのころ身につけたおかげで、芸能界デビュー後にダンスなどをやることになっても思い出すだけでよかったので、親に感謝したという。
自分が働くしかないと考えた中学時代
中尾が10歳のとき、父の会社が倒産、職を求めて一家で東京に出た。しかし、父は遊び好きで、もともと仕事に熱心でなかったため家計はどんどん苦しくなり、家賃が払えず引っ越しを繰り返す。そのたびに住むところは狭くなり、上京3年目には6畳と4畳半の二間に、すでに家を出ていた一番上の姉と兄を除く6人家族が暮らすというありさまだった。
このとき中学生になっていた中尾が芸能界入りを決めたのは、もう自分が働くしかないと考えたとき、未成年が稼げる仕事といえば芸能人しか思い当たらなかったからである。
そのころ、ジャズをメインにしたラジオののど自慢番組(おそらく文化放送の『スカウト・ショー』と思われる)に出演し、子供の頃から聴き慣れたジャズを英語で歌ったところ、審査員たちが驚いて合格したという。そのときの審査員のひとりに芸能事務所の渡辺プロダクションを設立して間もない渡辺晋がいたらしい。
