「歌でも歌ってみようかな」
芸能界入りの直接のきっかけは、映画会社の東宝が主催する新人コンテストへ知り合いが中尾の書類を勝手に提出したことだった。しきりに勧められたので受験したものの落選する。だが、このとき、彼女に東宝の人が「何かやりたいことがあるなら力になってあげましょう」と声をかけてくれた。中尾いわく《その時に「歌手になりたいです!」ではなく、「歌でも歌ってみようかな」と答えたのを覚えています。ナマイキだったんですよ(笑)》(『週刊現代』2016年8月13日号)。
それでも相手は渡辺プロダクションに紹介状を書いてくれて、所属が決まる。1961年のことだ。渡辺プロは設立から6年が経ち、営業中心の業務から、レコードの原盤製作やテレビ・映画の世界にも進出するようになっていた。所属タレントであるハナ肇とクレイジーキャッツやザ・ピーナッツが出演して人気を集めたバラエティ番組『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ系)が渡辺プロ制作により始まったのもこの年である。
「可愛いベイビー」でレコードデビュー
中尾は渡辺プロに入ってから1年間、ジャズバンドに預けられ、専属歌手としてジャズ喫茶で1日10回のステージをこなした。実地でいかにして鍛えられたか、彼女は後年こう語っている。
《ステージがあるたびに曲を覚えていくんです。ジャズの場合、譜面というのはなくて、キーと構成、テンポ、イントロが何小節かだけ決めて、あとどううたうかは、毎回自分とバンドとの戦いみたいなもの。それを決めるのも、全部その場の口頭なんです。そういう経験をさせてもらったから、今でも、『ちょっと何かうたってください』といわれても、何でもうたえるんです》(『VIEWS』1993年5月12日号)
こうした下積みを経て1962年4月、アメリカのポップス歌手コニー・フランシスの曲をカバーした「可愛いベイビー」でレコードデビューする。16歳になる直前だった。同時期にはテレビのホームドラマ『パパだまってて』(TBS系)にも出演し、俳優としてもデビューする。