「いやでしかたなかった」スパーク3人娘時代
デビューからしばらくしてフジテレビのバラエティ番組『森永スパーク・ショー』のマスコットガールとして、渡辺プロ所属の同年代の歌手である伊東ゆかり、園まりと「スパーク3人娘」を結成した。それぞれレコード会社が違ったので一緒に曲をリリースすることはなかったものの、番組以外でも3人娘として活動するようになる。1963年と1964年にはこの3人で紅白にも出場した。やがて園も伊東もヒット曲が出たこともあり、3人娘での活動は正味3年で終わる。
その後の3人は、切磋琢磨するライバルにして、親が亡くなったときなど相手が必要なときには駆けつけるような友達という関係を保つ。2005年には3人娘を再結成し、全国をまわってコンサートを行うなど、さまざまな活動を展開した。ただ、若いころの彼女たちは事務所から言われるがまま3人で歌うことがいやでしかたなかったという。中尾の場合、すでにヒット曲を出し、一人で紅白にも出場していただけに気持ちはより複雑だった。
そもそも中尾には自分はジャズ歌手だというプライドがあったので、ポップス歌手としてデビューしたこと自体に抵抗感があったとも、のちに明かしている(『週刊文春』2012年9月27日号)。それでも芸能界を辞めずに続けられたのは、稼いで家を建てるという目標があったからだ。
20歳のとき、念願かなって家を建てた。だが、家族8人で住むには狭く、今度は裏の土地に自分の家を建てようと、さらに仕事に精を出した。最初の家の5年後に2軒目を建てたときにはデビューから10年が経っており、そこで初めてこの仕事が好きだと気づき、これが自分の生涯の仕事なんだと思えるようになったという。家を建てるのに借金をしたので、それを返すことが仕事を続けるモチベーションにもつながった。(つづく)
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