税理士という一見お堅い職業に従事しながら、30代で未経験からホストとなり、入店初日で4000万円、初月で8700万円の売上を記録した男性がいる。夜野仁さん(33)だ。「税理士とホスト」という異色のキャリアだけでなく、かつて“余命1日”宣告されたこともあるなど、非常に波乱万丈な人生を振り返ってもらった。
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完全未経験→30歳を超えてホストになった経緯
——税理士とホストの二足の草鞋は、どのような経緯で誕生したのでしょうか。
夜野仁さん(以下、夜野) 大学を中退し、放送大学で学位を取得した後、税理士試験に合格したのが29歳でした。
そこからすぐ公認会計士の知人と事務所を立ち上げた中、最初のお客さんが偶然、六本木にあるバーのチーママ(=小さいママ、店で2番目のポジションの人物)だったんです。開業直後だったので集客も必死で、そこのキャストやオーナーの方から知人を紹介してもらっていくうちに、ナイトワーカーからの相談が増えていったんですね。
ちょうどその頃は、インボイス制度も始まり、税制面が厳しくなる転換期だったので、無申告が多いと言われている夜職からの需要が増えるだろうとも考えていたんです。そこで、ナイトワーカーを顧客層として取り込んでいこうとマーケティングしました。
そうした流れもあり、2024年に国内最大手のホストクラブで働くキャストから税務相談を受けていた際、独立して新店舗を開業したいという相談を受けて。そこで人手が足りないから「キャストとして働いてみないか」と誘いをもらったんですね。「夜の世界を経験したら仕事の解像度も上がるだろう」という建前もありつつ、それとなく興味もあり勤務するようになったんです。
——大学中退後に、放送大学に通い直した経緯も気になります。
夜野 幼少期から遡ると、野球一筋の家庭で育ったので、もともとはプロ野球選手になるのが夢でした。大学も、偏差値や学力というよりも、プロに近づける環境を選びました。当時、地元近くの広島文化学園大学という私大に、三原新二郎さんという名将(広陵高校などの監督として計14回甲子園出場を果たした人物)がいたので、その方のもとで野球を教わろうと入学したんです。
ただ当時は、野球部自体もそこまで強くなくて、これ以上続けても「プロになるのは厳しいな」と悟ったんですね。大学もいわゆる“Fラン”だったので、これ以上在籍しても意味ないと退学を決めました。
——そこから放送大学に通い直すと。
夜野 今後の進退をどうしようか考えていた時に、プロ野球選手の税金事情について興味があったことを思い出したんです。
年俸1億円の選手であれば、税金で3000万~4000万円を持っていかれる。これはなぜだろうと、素朴な疑問から経費や税金対策について調べていたこともあったんですね。そこから税理士を目指そうと、学位取得も視野に入れて、即時で入れる放送大学に通い始めました。

