拙速を尊ばなかった南雲機動部隊

 結論からいうと、「利根四号機」が発見したのは、まぎれもなく米機動部隊でした。ただし、先に触れたように位置の報告が誤っており、これが機動部隊の判断を誤らせます。つまり、南雲や草鹿、源田らが信じたよりも、米空母はもっと近くにいたのです。

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 ともあれ、何度かの「利根四号機」とのやり取りの結果、米空母が存在していることは確実になりました。そこで、陸上攻撃に向けた兵装転換をやめ、空母に残っている機体の兵装を魚雷と対艦船用爆弾に戻せとの指示が出されます。ところが、この作業中に、折悪しく、ミッドウェイ第一次攻撃を終えた友永隊が帰ってきました。ここで急遽第二次攻撃隊を発艦させれば、友永隊は着艦できず、燃料切れで不時着水ということになりかねない。そのため、第一次攻撃隊の収容が優先されることになり、午前9時ごろには、ほぼ全機が着艦しました。

 この間、第二航空戦隊司令官の山口多聞は、兵装転換などしないで陸用爆弾のままでよいからすぐに攻撃隊を出すべきである、沈められなくても飛行甲板を破壊するだけで米空母は使用不能になると、二度にわたって機動部隊司令部に意見具申をしています。しかし、南雲はその進言を採用せず、第一次攻撃隊の収容をすることとしました。

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 その理由として、陸用爆弾では敵に命中しても致命的な損害を与えることができないこと、さらに空母に残っている戦闘機を上空直掩に使ってしまったため、第二次攻撃隊の護衛に戦闘機をつけてやれないということが挙げられています。ミッドウェイ基地から来た米攻撃隊が戦闘機を伴っていなかったため、零戦につぎつぎと撃墜されたのを見ていた南雲司令部は、やはり掩護をつけてやらなくてはならないと思ったのでしょう。源田の予想では、米空母を発進した攻撃隊が襲来するまでにあと1時間はあるはずでした。魚雷や対艦船用爆弾を抱いた艦爆、艦攻に護衛戦闘機をつけて、フルスペックの攻撃隊でいくという案が採用されました。

 南雲司令長官も草鹿参謀長も、そして源田航空甲参謀も、兵は拙速を尊ぶということを軽んじたのです。