身も蓋もない言い分

 昭和59(1984)年に、中央公論社が出していた『歴史と人物』という雑誌の増刊『証言・太平洋戦争』が、ミッドウェイ海戦の特集を組んだときに、旧海軍士官6人と澤地さんで、「徹底討論 “運命の五分間”はなかった」という座談会が催されました。司会は歴史家の秦郁彦さんでした。澤地さんにしてみれば、敵中にただ一人斬り込んだかたちで、たいした度胸だったと思います。このあと、旧海軍軍人の親睦団体である水交会も、同様の公開討論会を開き、澤地さんはそこでも議論しております。こちらのほうは、私もフロアで拝聴していたのですが、澤地さんが臆することなく持論を述べられているのを、感心して見ていた記憶があります。

 さて、この座談会には、「運命の5分間」を広めた張本人である『ミッドウェー』の共著者、奥宮正武さんも出席していました。遠慮会釈なく異義を唱える澤地さんに、奥宮さんはかなりイライラしたようで、あまり論理的ではないことを洩らしています。

澤地 繰返しますが、兵装転換問題が命取りになった、といままで言われてきた定説は崩れるわけですね。

奥宮 そうも思いませんがね(笑)。戦闘中には、冷静な時にはちょっと考えられないことが起るものなんです

 奥宮さんは、澤地さんが疑問を抱いた『戦史叢書』シリーズの『ミッドウェー海戦』についても、「公刊戦史といっても間違ったところ、正確でないところがいっぱいあるんですよ。これは資料だが、戦史じゃないと私は思っています」と、身も蓋もないことを述べている。

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 とどのつまり、奥宮さんの「メイキング」が白日のもとにさらされたのだといっても問題ないかと思います。その後、アメリカの研究者によって、開戦当日の南雲機動部隊の航空機運用、何時何分にどの空母がどういう機種を何機発艦させているかというようなことが綿密に検証されたこともあって(Jonathan B. Parshall/Anthony P. Tully, Shattered Sword, Dulles, VA., 2005)、「運命の5分間」はなかった、攻撃隊の発艦準備はできていなかったというのが定説になっていると考えてよいでしょう。

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