なかなかの名調子です。この記述が、ながらく「運命の5分間」として伝えられてきました。ミッドウェイ海戦を語る上での定番となったわけですね。淵田、奥宮だけでなく、草鹿龍之介も源田実も、あと5分間あれば、4隻の空母から飛び立った日本の攻撃隊が米機動部隊を撃破していたであろうにと、死児の齢を数えるがごとく、あと少しで勝てたのだと嘆き節を歌いましたが──。
澤地久枝さんの偉業
ところが、これが真っ赤な嘘で、マクラスキー隊が急降下してきたとき、兵装転換はまるで進んでおらず、攻撃機の発進には程遠かったというのが現在の定説です。
この「運命の5分間」をめぐる論議にとどめを刺したのは、作家の澤地久枝さんでした。
澤地さんはミッドウェイ海戦の日米の戦死者3418人全員を突き止め、どこでどういう形で亡くなったのかを調べ上げるという偉業を成しとげました。当時としては最新のコンピュータを駆使し、10年がかりで調査したのです。下世話な話になりますが、取材費やコンピュータに使ったお金が、当時で4000万円を超えたといいますから、澤地さんの真実への執念については驚くほかありません。その成果は、『滄海よ眠れ』(全6巻、毎日新聞社、1984~85年)、『記録 ミッドウェー海戦』(文藝春秋、1986年)などの労作に結実しています。
澤地さんは、その過程で、ご自分が入手された機動部隊の戦闘詳報と『戦史叢書』の『ミッドウェー海戦』、淵田・奥宮の『ミッドウェー』を比較検討し、あと5分あれば、攻撃隊が発艦できたということはあり得ないと断じました。また、今述べたような綿密な調査から、日本側では搭乗員よりも整備兵の死亡率のほうがずっと高く、しかも、戦死の場所も格納庫内が多いことに着目し、それは彼らがまだ格納庫内にいて兵装転換の途中だったからではないかと推測されたのです。
おそらく赤城から飛び立った一機の戦闘機というのは、ローテーションで上がった上空直掩機であり、飛行甲板の上に準備ができた攻撃隊が並んでいたことはあり得ない。
この澤地さんの問題提起に、「運命の5分間」を唱えていた元海軍軍人たちは猛反発しました。『ミッドウェー』の共著者の一人、奥宮正武さんなども、その急先鋒でした。
