米空母攻撃隊来襲
しかし、すでに指摘した通りで、米機動部隊はもう南雲艦隊に接近しておりましたから、予想外に早く、空母の攻撃隊の空襲がはじまります。
友永隊の収容が終わった直後、午前9時20分ごろに、まずホーネットを発艦した雷撃隊が攻撃を開始しました。アメリカ側の攻撃は、戦爆連合編隊を組んでいなかったり、あるいは雲にまぎれて日本艦隊を発見できなかった隊もあったりで、五月雨式になります。そこへ零戦の迎撃を受けたわけですから、最初は惨憺たるありさまになりました。
盲腸の手術をしたばかりで飛行機に乗れなかった淵田美津雄は、赤城飛行長の増田正吾中佐と発着艦指揮所で、「おもしろいもんですな」と言いながら、空中戦のようすを見ていたといいます(前掲『ミッドウェー海戦 第二部』)。
実際、ホーネットとエンタープライズの攻撃隊は、ばたばたと落とされていきました。全滅し、生き残ったのは隊長ただ一人となった雷撃隊もあります。午前10時10分ごろから攻撃にかかったヨークタウンの雷撃隊も同様で、大損害を出しながら、命中魚雷は1本もない。
しかしながら、こうして犠牲になった雷撃隊は、結果的におとりの役割を果たすことになりました。南雲部隊の上空直掩機は、彼らを追いかけているうちに低空に引き寄せられてしまい、高空の警戒はないも同然となってしまったのです。各艦艇の見張員も水平線上に注意を集中し、高空にはほとんど眼を向けておりませんでした。
米軍にとっては、ミッドウェイ海戦最大の幸運といえるかもしれません。
まさにこのとき、アメリカの急降下爆撃機群、クラレンス・マクラスキー少佐率いるエンタープライズ艦爆隊とマクスウェル・レスリー少佐指揮のヨークタウン艦爆隊が、南雲機動部隊の上空に到達したのです。
「運命の5分間」はなかった
攻撃を受けた瞬間のことを、淵田美津雄はこのように回想しております。
「赤城では、全機出発位置に並んで、発動機はすでに起動している。母艦は風に立ちはじめた。あと五分で攻撃隊全機の発進は終わる。
ああ運命のこの五分!〔中略〕
午前七時二十四分〔日本時間〕。
艦橋から『発艦はじめ』の号令が、伝声管で伝えられた。飛行長は白旗を振った。
飛行甲板の先頭に並べてあった戦闘機の第一機が、ブーッと飛び上がった。
その瞬間であった。突如、『急降下!』
と見張員が叫んだ。
私は振り仰いだ。真っ黒な急降下爆撃機が三機、赤城に向かって逆落としに、突っ込んできた」(淵田/奥宮『ミッドウェー』)。
