5代将軍・綱吉の背後で「生類憐れみの令」を操ったとされる母・桂昌院。「八百屋の娘から大奥の頂点へ」というシンデレラ・ストーリーの裏に隠された“本当の出自”とは。江戸の庶民から「しゃしゃり出てきた悪役」と嫌われ、激しい誹謗中傷を浴びた理由を現代のSNS社会と重ねて読み解く。ライターの小林明氏の新刊『毒婦の日本史』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
◆◆◆
小心の将軍を裏で操る「ゴッドマザー」
桂昌院は京都から綱吉の側室を招いた。これは将軍の胤を残すのが大奥の至上命題だった当時にあって、まっとうな政治判断だが、覗き趣味が大好きな江戸の庶民たちは「また母親がしゃしゃり出てきた」と揶揄した。桂昌院は今度も悪役だった。
綱吉については「理想主義者ではあるが、小心の専制君主」(『徳川綱吉』塚本学/吉川弘文館)と、パラノイア的な資質を指摘する研究者もいる。犬・鳥・魚などに対し慈愛を持つのは理想主義的ではあるものの、「生類憐れみの令」に至っては確かに偏執的だ。
そうした特異なキャラクターのせいか実像が伝わりにくく、いまだに不可思議な将軍として、霧の中に立っている。そして、綱吉の背後には、現代なら「ゴッドマザー」というべき存在の桂昌院がつねにいて、将軍を意のままに操っている──と、少なくとも江戸の町人たちには、そう見えたのだろう。
さて、桂昌院の出自に話を戻そう。彼女は本当に「八百屋の娘」だったのか?
筆者の意見をいわせてもらうなら、下級武士の家の出身だったと見て、ほぼまちがいない。
