「家」よりも「個」

 気前のいい秀吉がざっくりと所領を削ってしまう理由は、彼の人物評価の基準にあったと考えられます。つまり、秀吉が評価したのはあくまでも「個」の能力なのです。手腕家の蒲生氏郷や、恩と実績のある丹羽長秀は厚遇に値するが、その息子たちに親と同じレベルのパフォーマンスが期待できないとなれば、その能力に見合った査定を行うのが当然。秀吉はそう考えていたのでしょう。

 現代人の私たちには、こうした秀吉の考え方は合理的とも思えます。しかし、三成が反対したように、時の武士たちの常識には反するものでした。

 武士の組織原理、行動原理のベースは、血縁、地縁などで結ばれた「家」にあります。主君の「家」に、家臣団の「家」が仕える形で、戦闘や領地経営が行われるのです。たとえば徳川家康ならば、西三河(にしみかわ)(いまの愛知県中央部)を拠点とした小豪族松平(まつだいら)家があり、その一族と家臣団が中核となって、家康を支えてきたわけです。戦国時代が下剋上の時代とはいえ、スタンダードはこちらの方でした。

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 しかし、秀吉はこうした「武士の常識」を共有しませんでした。秀吉の父は足軽として戦場に出ることもあったにせよ、尾張中村(いまの愛知県名古屋市中村区)の農民です。秀吉の権力は、彼個人の才覚のみによって形成されたもので、「家」によるものではありませんでした。

インテリジェンス関ヶ原 (文春新書)

本郷 和人

文藝春秋

2026年6月19日 発売