人生に訪れた転機

 ベンツィオンは、その後アメリカの名門コーネル大学等で教鞭をとり、イスラエルとアメリカを行き来する生活が続いた。このため、ベンヤミン少年も1956年から58年、そして、63年から67年までの幼少・青年期をアメリカで過ごした。同級生から「ベン」の愛称で親しまれ、高校ではディベートクラブに所属し、弁論術を磨いた。政治家となって発揮された言葉巧みな弁舌は高校時代から培われたものだ。

街中にはハマスへの憎しみの言葉が(©曽我太一、2026年5月29-30日)

 アメリカで高校を卒業したネタニヤフ青年は67年、軍に入隊するためにイスラエルに戻った。時代は第三次中東戦争の直後。小国イスラエルがエジプト、ヨルダン、シリアという隣国を押し返し、ヨルダン川西岸地区や聖地エルサレムの全域を制圧して間もない頃で、現地には勝利の余韻が残っていた。

 ネタニヤフが目指したのは、通常の戦闘部隊ではなく、エリート戦闘部隊「サエレト・マトカル」だ。敵陣営の奥深くに入り込み、暗殺や人質救出などを実行する特殊任務部隊で、エリート中のエリートである。ネタニヤフはそのエリート部隊員として数々の作戦に携わり、73年の第四次中東戦争にも予備役として参加し、大尉にまで昇格。除隊後は、アメリカの名門マサチューセッツ工科大学で建築学の学士と経営学の修士を修め、ボストン・コンサルティング・グループに入社した。

ADVERTISEMENT

トランプにネタニヤフが操られていると抗議する市民(©曽我太一、2026年5月29-30日)

 イスラエル社会には、ユダヤ系住民の間にも厳然とした「階級」が存在し、社会や政府の要職を占めるエリート層の大半は、欧州にルーツを持つアシュケナジ系ユダヤ人だ。一方、中東・北アフリカ出身のミズラヒ系やエチオピア系は、政治・学術・経済の中枢から外されたままである。アシュケナジ系のネタニヤフは、イスラエルとアメリカで育ち、かつ、エリート戦闘部隊の出身という、イスラエルにおいてこれ以上ないエリート市民とも言える。その順風満帆だったネタニヤフの人生に転機が訪れる。

パレスチナ占領への反対を一般市民に向けて訴える左派イスラエル人(©曽我太一、2026年5月29-30日)

 76年6月、イスラエル人が多く乗っていたエールフランス機が親パレスチナの過激派によってハイジャックされ、ウガンダの空港に強制着陸した。イスラエルは現地に特殊部隊を送り、救出作戦を敢行。人質の多くは助かったが、この時に作戦を指揮した兄のヨナタンがただ1人、犠牲となった。最愛の兄の訃報を聞いたベンヤミンはイスラエルに戻り、テロ対策の専門家としての活動を始めた。そして、次第にアメリカを中心にメディアでも注目されるようになった。

※本記事の全文(7500字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2026年7月号に掲載されています(曽我太一「“世界を壊す男”  ネタニヤフの正体」)。

全文では、以下の内容が語られています。
・34歳にして国連大使を拝命
・関心は「自分が政治的に負けないこと」だけ
・10月までに行われる総選挙の行方は?

文藝春秋

この記事の全文は「文藝春秋PLUS」で購読できます
“世界を壊す男”  ネタニヤフの正体

出典元

文藝春秋

【文藝春秋 目次】高市早苗「書かれざる履歴書」/特集 かんたん長生き体操/佐藤愛子秘話 佐伯泰英

2026年7月号

2026年6月10日 発売

1250円(税込)

Amazonで購入する 目次を見る
次のページ 写真ページはこちら