「無責任さが多くの人の死を招いた」――。Facebook(現Meta)の元公共政策担当幹部サラ・ウィン・ウィリアムズ氏は、ミャンマーで起きた惨劇をそう振り返る。

 2014年、ミャンマーでは“Facebook=インターネット”という独占状態の中、ヘイトスピーチや捏造されたレイプ疑惑が拡散し、死者を伴う暴動に発展していたのだ。しかし、Facebookの対応は絶望的だったという。巨大テック企業のなかで、いったいどのような動きがあったのか。

 サラ・ウィン・ウィリアムズ氏の著書『ケアレス・ピープル 権力と欲望、失われた理想の物語』(すばる舎)の一部を抜粋して紹介する。

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写真はイメージ ©︎GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

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ミャンマーで起きていた深刻な被害

 私たちは社内で互いを不当に扱っているだけではなかった。社外でも――つまり世界の各地で――現に深刻な被害を与えていた。そして私は、会社の責任ある立場の人たちにそれを気にかけてもらおうと試みては失敗し続けていた。

 たとえばミャンマーだ。このころ私はもう、Facebookの経営陣には善意も責任ある対応も期待してはいなかった。かつてはそんな時期もあったが、いまは本当に重要な事柄について何ら影響を及ぼせないとわかっている。「じっと耐えるべきとき」と「身を引くべきとき」の境目はぐらついていた。外から働きかけるより内側にいたほうがまだ何かを変えられるはず――私はそう自分に言い聞かせてきた。

 だからこうして腐りきったシステムのなかにいて、ほんのわずかでも状況を改善するために、私にできることをやろうとしていた。このとき私がやろうとしていたのは、とても単純なことだった。人権の専門家を雇って、ミャンマー対応を担当してもらうこと。だが、それさえもうまくはいかなかった。

 ミャンマーは、Facebookがどれほど破壊的な害をもたらしうるかを端的に示す一例だ。その実態を理解し、私が専門家の一人すら雇えなかった事情を知ってもらうには、少し時間を巻き戻す必要がある。私が4年前にミャンマーを訪れて以降、現地の状況は悪化の一途をたどっていた。そしてFacebookは、その悪化の過程で大きな役割を果たした。

無責任さが死を招いた

 ミャンマーは、マークが描いたInternet.orgの夢がある意味で実現した唯一の国だった。私が2013年に現地を訪れた当時、インターネットは存在していないも同然だったが、その後、デスクトップ端末の時代を完全に飛ばして一気にモバイル端末の時代に移行した。しかも、携帯電話を持つほぼすべての人にとって、Facebookは“インターネットそのもの”になった。Facebookは現地の通信事業者と提携し、携帯端末にFacebookをプリインストールさせた。多くの料金プランで、Facebookの利用時間は通信量にカウントされなかった。

 つまりミャンマーでは、インターネットを使うことは、Facebookを使うことと同義だ。それゆえに、ほぼ全員がFacebookを利用する社会でどれほど深刻な被害が生じうるかを、ほかのどの地域より如実に浮かび上がらせたのだ。ミャンマーで起きたことを私なりに言葉にするなら、“無責任さが多くの人の死を招いた”だろう。Facebookの経営陣は、自社のプラットフォームがミャンマー国内の緊張を煽り、ただでさえ不安定でおそろしい政治状況をさらに悪化させているのを目の当たりにしても、一貫して……そう、一貫して何もしなかった。