現代社会に、人の心は追いつけていない

 何者かにならないと、社会で置いてけぼりになるという不安は、果たして自分の心の底から自然に湧き上がったものだろうか。私はそうは思わない。

 おそらく、社会構造の変化に、私たちの価値観や心が追いついていないのが原因だ。

 承認欲求がことごとく市場化されたのが大きい。この場合の「承認欲求の市場化」とは、市場で売買されていなかったモノ・概念を、民間企業のノウハウや自由競争といった競争原理を取り入れて提供できるようにすること。社会が数値化・交換可能にした承認という意味だ。

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 古来、私たちが心の奥底から欲している承認欲求は、顔の見えない無数の他者からの賞賛や羨望ではなく、「私の話に耳を傾けて寄り添ってほしい」といった、存在をありのまま認めてほしい欲望だったはず。

 それがお金、地位、肩書、学歴、ブランド品の所有といった記号を使って身近な人から獲得するものに取って代わられた時代を経て、現在はテクノロジーの進化により、バズ、フォロワー数、というあられもない数字で表されるようになった。人の心は追いついていない。

 自らの心を満たすものが本当にそれなのか、誰もわかっていないのではないだろうか。テクノロジーだけが先に進んだ結果のシステムと心の接続不全が、「何者かにならなければ」という不安を増幅させているような気がしてならない。

 加えて、これまでは自分が属する共同体で安全に生きる方法として「和を以て貴しとなす」という価値観が重んじられていたのに、ある時から突然、個人として突き抜けなければダメと言われるようになったのだから、そりゃ不安にもなるというものだ。助走期間はゼロなんだもの。

 密かに脈々と現代にも特権が受け継がれているとはいえ、一応は明治に入って身分制度が撤廃され職業や居住の自由が認められた日本は、焼け野原から高度成長期を経て経済大国へと成長した。

 かつてよりは「努力すれば上昇できる」という感覚を人々に与えるようになったと言える。高度成長期には、その実感を持てた人も多かっただろう。

 しかし現在は、バブル崩壊からの失われた30年とやらのあいだに新自由主義が持ち込まれ、経済成長という後ろ支えが弱まり、格差がどんどん広がっている。にもかかわらず、「自己実現せよ」、「努力次第でなんにでもなれる」という圧力だけは、むしろ強化されている。