どの評価軸を採用するかは自分で選べる
成し遂げたいことがあるわけでもないのに焦燥に駆られているとしたら、それは単に社会システムのバグに飲み込まれているだけ。他者に語り得る物語のある人生のほうが、高価値だと思わされているだけ。あなたが「何者かにならなければ社会から取り残される」と恐怖に駆られると、ほかの誰かが儲かるシステムが存在するだけ。
不特定多数の他者からの承認がないと、自分の存在に十分な意味や価値や輪郭があると感じられない。社会から取り残されると感じてしまう。そんな人がこれだけいるのならば、おかしなことになっているのは社会のほうだ。
存在の意味や価値や輪郭の良し悪しを、他者の賞賛や「バズった」とか「フォロワー〇万人」のような市場価値にジャッジさせるか、それとも自分で判断するか。
どう考えたって、自分で判断するほうが良いだろう。自己感覚を研ぎ澄ませたほうが、風向きでクルクル変わる頼りない指標に頼るよりずっと楽しく過ごせるのだから。
他者承認を完全に切り離すことは不可能だが、どの評価軸を採用するかは自分で選べる。その舵を手放してはならない。
要は、谷亮子さんのような少数の越境能力者によって属性によるリミットが社会的に外れたことと、自分がリミットを外したいかどうかは別問題という話。「可能になった」と「全員が目指すべき」は違うのだ。「限界を超えたい」という欲望なのか、「限界を超えなければ」と焦らされているのか、いま一度自分に問うてみる価値はある。
※誰かに羨望されることを追求した先にある「他者のモブ化」や、「自分軸」で生きることの本当の意味などについて書かれた記事全文は、『週刊文春WOMAN2026夏号』で読むことができます。