同期でトップヒールのアジャ・コングとの思い出
――全女の若手選手は抑え込みルールのもとで実力を競い合うイメージがあります。
工藤 道場では抑え込みの練習ばかりで、技を覚えるのはプロテストに合格してから。試合では自ずと抑え込みスタイルになるんです。試合の勝敗によって翌日に試合できるか決まるので必死でした。
――クラッシュ・ギャルズのようなレスラーを目指していたんですか?
工藤 逆に、松永社長から「将来どうなりたいんだ?」と聞かれたとき、「ヒールになりたいです」と答えました。「無理、無理。お前はそっちじゃないよ」と言われたことを覚えてます。
入団前はベビーフェイスしか見えていなかったんです。だけど、全女に入って「ヒールならではのカッコよさ」に気づいて。ダンプ松本さんの極悪同盟の強い結束力に「家族のようでいいな」と憧れていました。
――のちにトップヒールとなるアジャ・コングさんとは同期で仲が良かったんですよね。
工藤 2段ベッドの上下にいる関係だったので、いろんな話をしました。当時は控えめな子でしたね。だからなのか、よくムチャ振りされて。リングネームも何度か変わっているんです。
本人は納得できないこともあったかもしれないけど、1人のレスラーとして認められた証なので、私からしたら「一歩先に進むんだ」と羨ましさを感じました。
「折れ方が悪いと骨が内臓に刺さる可能性もある」
――88年4月、工藤さんは胸骨のケガで全女を退団します。
工藤 先輩や会社には骨折していることを言わずに、さらしを巻きながら試合をしていたんです。技を胸で受けることが基本なので、試合をしているうちにどんどん悪化して、内臓にも影響を及ぼすようになりました。
お医者さんからは「折れ方が悪いと骨が内臓に刺さる可能性もある」と言われていました。今でもその部分は骨が出っ張っていて、触ると痛みます。
――周りは工藤さんの骨折に気づかなかったんですか?
工藤 優しい言葉をかけてくれた先輩もいましたが、体重が落ちたことで「遊びすぎて練習していないんじゃないの?」と叱責されることもあって。まだ若かったので、そんな言葉がナイフのように突き刺さって傷つきました。
ストレスでどんどん痩せていって、ストレートにダメージを受けて……と負のループに陥ってしまったんです。
撮影=榎本麻美/文藝春秋
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