「私が水信さんの信越食品で働くことになったら、いまの従業員の半分は解雇することになります。いいですか?」

これに水信氏は首を縦に振らなかった。水信氏にしてみれば、それまで共にやってきた従業員を簡単に解雇するわけにはいかなかったのだ。その代わり水信氏は、「新しい会社をつくって、自分が思うようにやったらいい」と池田社長に言う。

そして池田社長が2004年8月に創業したのが、ゆで太郎システムである。創業資金は3500万円だったが、水信氏も信越食品としてではなく個人として出資してくれた。それだけでなく、ゆで太郎のそばのレシピ、社名や看板に「ゆで太郎」を使うことも快く承諾してくれた。

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ゆで太郎システム直営1号店が西五反田に誕生したのは2004年12月22日で、開店準備を開始してから1年後のことだった。その後のゆで太郎の躍進は、水信氏の寛大な配慮があったからだともいえる。

職人技を捨て、作業を「数字」に落とし込む

池田社長はそば職人の仕事を徹底的にマニュアル化し、誰もが同じ味を出せる仕組み作りに着手した。

「そばの世界は歴史が古く、昔ながらの職人は『返し1杯に対してダシ5杯』といった具合に、一升マスや寸胴に刺した竹の棒を目安に作っていました。しかし、それではアルバイトには教えられません。すべての工程を『何グラム』『何リットル』『何度』という具体的な数字に落とし込みました。また、みりんを一升瓶で買うと割れる危険があるため、メーカーに交渉して20リットル入りの業務用パックを作ってもらうなど、現場の負担を減らす工夫も重ねました」

そば粉の配合も同様だ。店舗に重い粉の袋を置いて職人がその都度量るのではなく、あらかじめ工場に「そば粉55%の割合でミックスし、女性のアルバイトでも持ち運べるように8キロや10キロの袋に分けて納品してほしい」と発注するようにした。

こうして各店舗の味のブレをなくし、営業を続けながら不都合を一つずつ改善していった。納得のいくマニュアルが完成するまでには、創業から約5年もの歳月がかかったという。