デートシーンで撮影が止まり…
倍賞によれば、相手役の勝呂誉との夜のデートシーンの撮影中、山田が難しい顔をしたまま黙り込み、撮影が止まったことがあったという。いつまで経ってもOKが出ず、彼女は自分の演技のどこが悪いのかと泣いてしまったが、山田もまた孤立無援の心境で、泣きたい気分であったらしい。
倍賞にとっては、それまで監督をはじめスタッフの言うとおりに演技していればよかったのが、『下町の太陽』で初めて演技をすることの難しさ、苦しさを知ったという。それは自分なりに一つひとつのセリフの持つ意味を考えて、自分とは違うもう一人の人間になる必要があったからで、そこから彼女は演技の面白さに少しだけ触れたような気がするとも顧みている(倍賞千恵子『倍賞千恵子の現場』PHP新書、2017年)。
木村拓哉も驚いた山田洋次&倍賞千恵子の関係
山田監督の作品にはその後、『男はつらいよ』の48作を含め、『TOKYOタクシー』までじつに70作に出演し、盟友ともいうべき関係を築いた。『男はつらいよ』で倍賞演じるさくらの一人息子・満男役で長らく共演した吉岡秀隆によれば、『隠し剣 鬼の爪』(2004年)で彼女と久々に共演した際、山田が松たか子のアップをどう撮るか悩んでいたところ、突然怒り出して「倍賞くん、君も一緒に考えてくれよ!」と言い出したことがあったという。
木村拓哉も『TOKYOタクシー』の撮影中に山田と倍賞のやりとりを見ていた印象を次のように語っている。
《お二人の場合、あうんの呼吸であったとしても、すべてを許しているわけではないんですよ。誤解を恐れずに言えば、第三者、さらにもっと周囲にいる僕たちが驚くぐらい厳しい。山田監督は倍賞さんに対して、「いや、そうじゃないだろ」、「もっと苦しいんだよ」、「暑かったんだよ」と“もっと”を望んでいくわけです。そのやり取りのエネルギーは本当にすさまじくて、同じ空間にいるだけで持っていかれそうなくらい躊躇ない言葉が、バシッと投げかけられていく。それに対して、倍賞さんの返しは「はい」なんです。「なんで?」でも、「どこが?」でもなく、「そうじゃない」となったら、「はい」。その感じがすごい。なんか言葉にしがたいというか》(『キネマ旬報』前掲号)
『TOKYOタクシー』の公開時点で山田は94歳、倍賞は84歳。長年一緒に仕事を続けながらも、妥協を許さない関係に揺らぎはないことをうかがわせる。(つづく)
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