――東京で暮らしていた小林さんが北海道へ渡り、農作業をしながら活動する生活は大きな環境の変化だったと思います。

小林 私は生まれも育ちも東京なので、むしろ東京以外で暮らしてみたいという憧れがありました。親も特に反対しませんでしたし、あまり深く考えずに北海道へ行ったんです。今となっては、都会の消費していく遊びと違って生産していく楽しさがあって、とても貴重な経験で楽しかったです。

©︎細田忠/文藝春秋

何百個もある重たいチーズを毎日拭きながらデビュー曲の練習をしていた

ーー北海道では、酪農を担当されていたと伺いましたが、一番大変だったことはなんでしたか。

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小林 工房の中で、何百個もある重たいチーズを毎日拭いて、ひっくり返して、また拭いて……という作業を繰り返していたことが、本当に大変でした。当時は若かったので、一日中ひたすらチーズと向き合うことができましたけど……。その時間は一人になれたので、チーズを拭きながらデビュー曲の練習をしたりしていましたね。

ーーちなみに、農作業の担当はメンバーの希望で選ぶことができたのでしょうか。

小林 実は、私も含めメンバーみんな馬を担当したかったんですよ。担当が発表された時には、「馬が良かったー!」って、尋美と一緒に泣いてしまうほどでした。私は酪農、りんねは馬、尋美は畑仕事やレストランって一人ひとりの性格を見て、田中さんが決めてくださったんです。

 その後、田中さんから酪農について勉強してくるようにって分厚い参考書を何冊も渡されました。たまに、「ちゃんと参考書読んでる?」って抜き打ちで質問されたりもしましたね。毎朝乗馬を教えてくださったりと、田中さんには本当にお世話になりました。

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