「正直、歌うことが怖かったんです」
そう語るのは、「北海道で農業をしながら芸能活動をする」というコンセプトのアイドルグループ「カントリー娘。」の初代リーダーとして活動していた小林梓さんだ。1999年、デビューを目前に控えていたカントリー娘。は、メンバーの柳原尋美さんが自動車事故で亡くなるという悲劇に見舞われた。同年、小林さんもグループを離れ、芸能界を引退した。
その後、長い年月を経て芸能界に復帰したが、マイクを握るたびに当時の記憶がよみがえったという。それでも彼女は再び歌う道を選んだ。現在も歌手活動を続け、今年9月には単独ライブも予定している。
あの日から27年――。事故当時の記憶とその後の影響について語ってもらった。(全4回の2回目/最初から読む)
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デビュー直前、3人で過ごした日々
――デビュー直前の当時は農作業、レッスン、アイドル活動と本当に忙しい日々を送っていたんですよね。
小林梓さん(以下、小林) そうですね。メンバー3人でルームシェアしている家から牧場まで、毎日3キロほど歩いて通っていました。すると、朝早くから農作業をしているおばあちゃんたちから「あんたたち、野菜持っていきなさい」と次々に声をかけられるんです。
牧場へ着く頃には、重たい野菜で両手がいっぱいになっていました(笑)。今思うと、若かったからできたことですね。まつ毛に氷の結晶が出来るほど寒い中、みんなでデビュー曲を一緒に練習しながら歩いたことが、とても思い出深いです。
ーー北海道の方々の温かさも感じられるエピソードですね。デビュー曲「二人の北海道」のミュージックビデオを見ると、メンバー3人の仲の良さが伝わってきますが、お2人との思い出があれば教えてください。
小林 北海道では同じところにルームシェアしていたので、家族みたいな感じでした。
私はもともと人付き合いが得意なタイプではなかったのですが、メンバーの尋美が明るく元気で、人を集めるタイプの子で。だいたいみんなで尋美の部屋に集まって、デビューしたらみんなでハワイ旅行にいきたいね、とか、じゃあ売れたら毎年ハワイに行こうよ! なんて、楽しくおしゃべりしていました。
りんねは何でも器用にこなせるタイプで、尋美はしっかり考えて行動するタイプ。リーダーの私は、マイペース担当でしたね。
――当時のことをお聞きするのは大変心苦しいのですが、1999年7月16日、デビューを目前に控えた中で、メンバーの柳原尋美さんが自動車事故で亡くなられましたね。
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筆者がこの質問を投げかけると、小林さんは少し視線を落とした。しばらく沈黙が続いた後、ゆっくりと言葉を選びながら少しずつ当時のことを話し始めた。

