朝鮮学校、と聞いて、思い浮かべるのは、なんだろう。
よほど朝鮮学校について知識のある人以外の多くの人びとは、具体的なものが浮かび上がってこないのではないだろうか。ましてやそこに通う生徒たちについては想像が及ばず、なにか特殊な子ども達が通っているに違いないと思ったりもしている。そんな人がこの映画を観たら、朝鮮学校に通う、防弾少年団(BTS)を好きな少女が「私たちとなんら変わらない」と感じ、ほっとするかもしれない。
そもそも、「同じ」であることに安堵を見出す、同質性の高い日本社会においては、「違う」人たちを理解することが難しい。もっといえば、理解しようと努めず、厳しい目を向ける。北朝鮮と関わりがありそうな学校に通うなんて普通じゃないと異端視することは偏見や差別に他ならないのだが、そんな偏見や差別が自分のうちにあるなんて、映画鑑賞後の感動に包まれて気づかないだろう。
『トロフィー』は、朝鮮学校についてのリテラシーの度合いで受け取るものが異なる。少しだけ知識があるので、この映画を観る前に知っておいてほしいことをここに記そうと思う。
日本社会で「朝鮮」を背負う重さ
まず、映画の舞台が三河島(東京・荒川区)であること。
ここは日本で最初のコリアンタウンで、主人公のソヒが通う東京朝鮮第一初中級学校は、第一という名が示すように、いろんな意味で朝鮮学校の象徴と見られることが多い。
では、朝鮮学校の象徴とは何か。そこには、民族学校の意義だとか、愛国心だとか、民族の誇りなどが内包されている。東京朝鮮第一初中級学校は、スポーツが強く、舞踊や吹奏楽などの部活動にも力を入れており、朝鮮学校の中のエリート校だ。だから、部活動においても、生徒達が単純にそれらを楽しむだけでなく、何らかのものを背負わされている、あるいは自ら背負ってしまうような面があることが否めない。これは、第一に限らず、朝鮮学校全体においても言えるかもしれない。

