「担保、担保」と
関根 私の実家も、東京の下町、両国の中小企業。繊維の機械メーカーで、父が社長で母が専務兼経理担当という家族経営だった。私が生まれた1950年代の繊維産業はものすごく景気が良かったけれど、71年に日米繊維交渉が実質的に合意に至り、繊維の輸出が自主規制されるように。私が大学に入る頃には会社経営は大変になっていた。その頃に、中小企業は経営が厳しい時に銀行の融資を受けられるかで命運が決まるというのを肌で理解したんだよね。父が「会社は継がなくていい」と言ってくれたので銀行に入ったけど、継いでいたら随分大変だっただろうな。
岸田 銀行に入って、融資を受ける立場から、融資をする立場になったわけだ。
関根 そう。実際に融資を学んだのは、2店舗目の姫路支店の時だった。そこの課長が厳格な人で、徹底的に融資の基礎を叩き込まれた。よく覚えているのは「銀行は担保を処分して資金を回収しようとしてはいけない」ということ。担保があるから貸すんじゃなくて、事業内容や経営者を見て融資するんだ、と。なのにバブルの時代になると、不動産を担保にして、担保の価値で融資するようになってしまった。
岸田 確かに、当時は長銀でも「担保、担保」と言っていたな。事業内容や経営者を見る目がどこまであったのか、疑問かもしれない。
関根 (バブル崩壊後に金融庁が導入した)金融検査マニュアルには良い面もあったが、行き過ぎた財務格付審査をもたらしてしまい、結果として事業性の評価ではなく格付けで企業を見る癖が金融機関に染み付いてしまったのではないか。だからこそ商工中金では、担保や保証をベースにした貸出ではなく、事業の将来性や競争力、経営者の資質などを踏まえた事業性評価に注力している。
岸田 大事なことだね。私自身も首相時代、中小企業の経営者との車座対話を大事にしてきた。物価高や人材不足といった中小企業の厳しい状況について、頭ではわかっていても、話を直接聞くことでより切実に実感するところがあったな。
※本記事の全文(7000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2026年7月号に掲載されています(岸田文雄×関根正裕「〈同級生対談〉岸田文雄×関根正裕 中小企業を救え!」)。
全文では、以下の内容が語られています。
・AIを活用する会社は全体の3割
・海外市場の情報が届かない
・岸田氏の外交への熱意
