5/5ページ目
この記事を1ページ目から読む
金印ただ一つだけが出土した
副葬品や生活用品などの伴出物は一切なく、出土したのは金印ただ一つ。そのため、なぜここに埋められたのか、謎が謎を呼ぶ。
奴国は『後漢書』にも記された古代国家。ここからずっと南の内陸部に位置する現在の福岡県春日市須玖(すぐ)周辺を都とし、福岡平野一帯に存在したと考えられている。
王墓とみられる遺跡も須玖で見つかっていることから、奴国王の墓が志賀島にあったわけではない。ただし、それは金印をもらった奴国王の50~60年くらい前の人物らしいのだが。
では、この金印は誰が守っていたのか。
外海に面した志賀島には、古くから海神信仰が息づいてきた。海神に仕えた阿曇氏を中心に、奴国の外交や海上交易に携わる人々が、この島で金印を管理していた――。そんな想像も膨らむ。
丘の上へ登る。目の前には博多湾が広がり、左手には能古島、眼下には大小の船が静かに行き交う。
2000年近く前、この海を渡って中国の使者がやって来たのだろうか。
そう思いながら景色を眺めていると、古代と現代がほんの少しだけ繋がったような気がした。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。
次のページ 写真ページはこちら

