――まさに惨敗。芸人の道を迷ったりしませんでしたか?
ノムラ 全然気にしてませんでしたね。逆に芸人になりたい気持ちが増してきちゃって、親にも「高校出たら芸人になりたい」と伝えました。そしたら母が「あなた、ハイスクールマンザイで予選落ちしてるよね」「お笑いは才能がないっていうことだから、大学に行ってください」って。さすがに何も言い返せなかったですね。
“東大ブーム”に乗せられて東大を目指すことに
――医者への道に戻ることになった。
ノムラ でも当時はもう芸人になる気持ちが強すぎて、医学部だと卒業までに6年かかるから芸人になるのが遅すぎる、と感じていました。それで親が医学部以外で許してくれそうなのが東大しかなかったので、東大の理科一類を受けようと決めたんです。
――4年で卒業するためだけに東大へ。
ノムラ しかもタイミング的に当時の盛岡一高はカリスマ先生の影響で東大を目指す子が激増してて、「赤門クラブ」という東大志望者専用の特別な課外授業までありました。私もまんまとその“東大ブーム”に乗せられて東大を目指すことに。
――東大受験はどうでしたか?
ノムラ 不合格でした。その時は何も考えられなくて学校に「すみません、落ちました」と報告に行ったら、「最初に落ちるのは普通だよ。1年浪人したら余裕で受かる」と言われて。それを信じて仙台で浪人生活を送りました。
――一浪の末、東大を再度受験。結果は……。
ノムラ またしても不合格でした。
――“元神童”にとって、二年連続不合格はショックだったのでは?
ノムラ 合格発表のとき「私の番号はあるだろう」って思って行ったんですけど、掲示板を探しても番号がない。「いや、おかしいぞ。自分はうまくいくはずなのに」って自分を神童だと思ってた頃の名残が消えてなくて、信じられなかったしショックでした。
でもいま考えると、それまでは母が教育をがんばった“余熱”で走ってきただけで、それがちょうど大学受験の頃に尽きたんだと思います。「これからは自分の足で立たなきゃ何もできない」って、初めて思い知らされた瞬間でした。
――1浪の年の後期試験で、山梨大学医学部に合格します。
ノムラ 山梨大学の医学部は後期試験しかなかったので、定員が多くて「穴場」だと思って受けました。王坂が現役で上智大学に進学して東大とのインカレサークルの落語研究会に入ってたので、山梨からなら都内にも通えるかなと思って山梨大医学部に入りました。
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