一つの理想的な料理の形

 先日、よしながふみ先生の『きのう何食べた?』(講談社)を読み直した。この作品は、自分のために料理することの大切さを描いた上で、それだけではどこか張り合いがないという実感をふまえ、パートナーのために作り、共に食べる時間の尊さや難しさを繊細に描いている。これが私の目指す一つの理想的な料理の形だと思った。

「人のためじゃなく自分のために生きるのが正しい」

 そういう風潮が高まっているし、それは一つの正論だと思う。私にとっても、料理において「自分のため」が第一であることに変わりはない。けれど、ただ一人で作って食べるだけだったら、ここまで料理にのめり込んでいただろうか。「おいしかった」と誰かに言われたときの喜びは自分一人では得られないものだ。高校生のころ家族に料理をふるまったり、友達におにぎりを差し入れたりしていなければ今の私はいない。自分のために生きることを大切にしながらも、結局は誰かとの関わりの中でしか生きていけない部分が、私には少なからずあるのだと思う。

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©平松市聖/文藝春秋

 夫は料理を全くしない。けれど、それ以外の家事や私が苦手なことは、彼が自分の役割として担ってくれている。だからこそせめて料理はやってあげたいという気持ちが自然に湧いてくる。役割だけを見ればやや古臭く見えるかもしれないが、チーム全体のバランスとしては、これで心地よく回っているのだ。

 どこまで自分がやってあげて心地いいと思えるか。どこからは苦しくなってしまうのか。きっとお互いのやってあげたいという熱量のバランスが崩れたときにしんどさが生まれるのだと思う。そのしんどさの背景には、今なお「しなくてはいけない」という思い込みが強く残っていて、多くの人がそこから生まれる罪悪感に苦しんでいる。

 毎日の食事で常に百点満点を目指す必要はない

 料理は一緒に暮らす特定の誰かの仕事だという固定観念は根深いが、これだけライフスタイルが変容した今、一人だけがその負担を背負い続けるのはやはり無理がある。

 私はその「しなくてはいけない」という思い込みを少しずつなくしていきたい。 毎日の食事で常に百点満点を目指す必要はない。もっと地味でもいいし、ワンパターンになってもいいのだ。疲れている日は、作らなくたっていい! 他者の評価ではなく自分軸を取り戻して、自分の心地よいやり方を探し、笑顔でいられる方法を選んでいく。それが、これからの家庭料理との付き合い方だと私は信じている。

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長谷川 あかり

文藝春秋

2026年7月30日 発売

最初から記事を読む 「毎日ちゃんとしたごはんを作らなければ…」結婚後にプレッシャーを感じてしまった長谷川あかりが決めた「しなくていい」自炊のルール

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