星野源が『オールナイトニッポン』を始めた当時、この番組は、ナインティナインやオードリーといった例外を除いて、長く続けられる枠ではなかった。だから、星野も「1年やれたら最高だね」という思いでレギュラーを開始した。それがちょうど10年続いた。『星野源のオールナイトニッポン』として最初の提供スポンサーはわずか3社。それが、最終的に35社にまで膨れ上がった。星野自身が言うように、それは人気というレベルではなく、「信頼関係」を築いた結果だった。

 当初、星野には「ラジオでこういうことやりたいなが溜まっていた」という。そして、それを一つひとつ実現させていった。

「本当にありがたいことに、やりたいことをやりきれたなと、心から思います」

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 そうして、10年をひとつの区切りにしたいと伝え、番組の歴史に自ら幕を引いた。

『星野源のオールナイトニッポン』公式Instagramより

「夜を通って、電波が“ここ”まで飛んできて喋ってくれてる」

「ラジオはすごく大事ですね。なんていうか、『間違いないもの』です」(「クイック・ジャパン」Vol.107)

 そう語っているように星野源は、そのキャリアのほとんどをラジオパーソナリティとしても活動していた。2008年の『オールナイトニッポン クリエイターズナイト』(ニッポン放送)を皮切りに『RADIPEDIA』(J-WAVE、2011~14年)などを担当し、2016年からは『星野源のオールナイトニッポン』が始まった。くも膜下出血で休養後、復帰場所もラジオ(『RADIPEDIA』)を選んだ。

 彼が特に愛しているのは、いわゆる「深夜ラジオ」だ。

「夜を通って、電波が“ここ”まで飛んできて喋ってくれてる感じがするんですよ。今はradikoもあるから違うイメージを持っている人もいるかもしれないけど、ラジオって人と人との距離感が物理的にも遠いし、時間的にもタイムラグがあって、遅い。そこで生まれている繋がりって、例えばツイッターの繋がりとはちょっと違う繋がりなんです。おおざっぱに言うと、もっと素敵なもの(笑)。“ここ”で、“すぐ”、即物的に繋がってるんじゃない、魂の繋がりみたいな感じがする」(「クイック・ジャパン」Vol.107)

 星野源は少年時代、ラジオに救われた。

 彼はコミュニケーションが「下手」で、学校のどのグループにも馴染めず、居場所がないと感じていた。そうした中で、彼に「居場所がある」と感じさせてくれ、「生きる糧」を与えてくれたのがラジオだった。