ブス会のメンバーにも、もっと演技を勉強したいと思っていたところへ「舞台をやってみれば?」とアドバイスされた。それからまもなくして蜷川幸雄演出の『太陽2068』(2014年)への出演をオファーされた。23歳を目前にしていた前田は、やれるのかという不安もあったものの、《いまこの年齢でなければできない挑戦だから、いいタイミングかな》と思い、出演を決める(『anan』2014年7月9日号)。
「私、どうしたらいいんですか?」
このとき蜷川は「映像での長回しと同じだと思えばいい」と言ってくれ、おかげであまり舞台だと意識せずに稽古できていた。だが、映画のばあい撮影途中でカメラを止めることがあるのに対し、舞台はいざ本番が始まるとノンストップとあって、やはり勝手が違った。公演中は毎日、朝の4時に共演する先輩に電話しては、泣きながら「私、どうしたらいいんですか?」などと相談していたという。
このあと舞台はもう一生やりたくないと思ったが、翌2015年には、岩松了作・演出の『青い瞳』で2度目の舞台を踏む。蜷川とは違って淡々とした芝居で、「あ、こんなのもあるんだ」と《そこから、冷静にいろいろな舞台を観に行くことができるようになったんです》という(『婦人公論』2016年3月22日号)。
なお、蜷川幸雄は前田の初舞台の2年後に死去した。初出演映画の監督の市川準もまた公開の翌年、2008年に急逝している。こうして見ると、前田にとって一つひとつの出会いは重要な意味を持っており、運命的な巡り合わせとさえ思わせる。(つづく)
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