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男の末路
1978年11月28日に最高裁が上告を退けたことで死刑が確定する。
大阪拘置所に収監されて以降も、古谷は凶暴だった。室外での運動中に抜き打ちで独居房の検査を行った刑務官に対して「おまえら、殺したろか! 俺はあと何人殺しても一緒や!」と喚き散らし、また1982年12月には自分の可愛がっていた死刑囚が他の死刑囚に接近したことに嫉妬し、集会所にて隠し持っていた凶器で彼らを襲い重傷を負わせた。
少なくとも8人を殺害した罪の意識はかけらもなく、獄舎に来たスズメやハトに餌付けしたり、プロ野球の日本シリーズなどを楽しみに観るなど日常生活を満喫、普段から「俺は幸運な人間だからいつかは助かる」と口にし、死への恐怖すらほとんど見せなかった。
死刑執行は刑確定から7年後の1985年5月31日(享年71)。処刑寸前、かつて自分を取り調べた兵庫県警の元刑事に送った手紙には〈厚恩を背負いて登る老いの坂 重きにたえず涙こぼるる〉という遺言らしき短歌が書かれていたという。
