繊細な音色を奏でるフルート奏者でありながら、今年ポーランドで開かれた世界クラシック&エクイップベンチプレス選⼿権⼤会で金メダルを獲得した上原麻衣さん。

 一見すると結び付かない二つの世界だが、その原点には、「どうしてもフルートを吹きたい」という幼い日の一途な思いがあった。母親の反対を乗り越え、吹奏楽の名門校で腕を磨き、音楽の道を志した青春時代。

 夢を追う喜びと迷い、そして人生の岐路で重ねた選択の一つひとつが、現在の上原さんを形づくっている。その異色の歩みの始まりを聞いた。(全3回の1回目)

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上原麻衣さん 本人インスタグラムより/本人提供

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母親に土下座で頼み込んで吹奏楽部に入部

――フルートを始めたきっかけを教えてください。

上原麻衣さん(以下、上原) 祖父が、目の見えない障がい者だったのですが、バイオリン、ピアノ、ハーモニカ、横笛などいくつもの楽器を演奏できる人でした。その影響もあって、子どものころから音楽が身近な存在で、4歳のときに母からピアノを勧められたことが、音楽を始めた原点です。

 フルートに興味を持ったのは、日曜日の朝に放送されている『題名のない音楽会』。「ピアノじゃなくてフルートがやりたい」と母に伝えたものの、「ピアノで十分。ピアノだけやってなさい」と言われて、そのときは泣く泣くあきらめました。

――お母さまは厳しい方だったんですか?

上原 結構スパルタな母でした(笑)。「こう育ってほしい」という思いがとても強くて、理想も高くて、いい高校、いい大学へ進んでほしいと思っていたみたいで。吹奏楽にのめり込むと、塾に行けなくなると思ったんでしょうね。中学校で吹奏楽部に入ることも反対されて、音楽室の隣で活動していたパソコン部に入って吹奏楽部の演奏を盗み聞きしていました。

©︎細田忠/文藝春秋

――あきらめきれなかったわけですね(笑)。

上原 ですね。でも、どうしても吹奏楽部に入ってフルートを演奏したかったから、1年生の12月に母親に土下座したんですよ。ちょうどそのときは、吹奏楽部にフルートが2年生の1人しかいないから、「来てくれるとうれしい」という話も聞いていて。「勉強もちゃんとやる。高校もお母さんが望むようなところに行く」って頼み込んで納得してもらいました。ただ、いざ入部すると、めっちゃくちゃ厳しくてびっくりしました。