世界の舞台で、ベンチプレスの金メダルを手にしたパワーリフターであり、繊細な音色を奏でるフルート奏者でもある上原麻衣さん。
「音楽だけでは食べていけない」。学生時代に何度も投げかけられたその言葉は、社会に出てから現実となって上原さんの前に立ちはだかった。会社員として働きながらプロオーケストラの舞台に立ち、夢と生活のはざまで揺れ続けた10年間。それでもフルートを手放さなかったのは、音楽への思いが消えなかったから。
音楽を生業とすることの難しさが、後にベンチプレスとの運命的な出会いへとつながる。その転機について、率直な思いを語ってもらった。(全3回の2回目/最初から読む)
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音楽に対する熱が冷めてしまった理由
――大学生活の中で、音楽に対する熱が冷めてしまったとお話しされました。どうして冷めてしまったのでしょう?
上原麻衣さん(以下、上原) 音楽に充てるべき時間を、単位を取るための時間に充ててしまったことが大きいと思います。目的が、“もっとフルートが上手くなりたい”から“卒業すること”に変わってしまったことで、将来の自分像がぼやけてしまったというか。進路の相談をしても、「音楽で食べていくのは現実的ではない」「一握りしか生き残れない」としか言われないので、どこか自信をなくした自分もいたんだと思います。そういった意見を無視して、自分を貫けば良かったんでしょうけど、その覚悟がなかった(苦笑)。
――狭き門であると諭されたことで、良くも悪くもモチベーションがフラットになってしまったと。
上原 でも、心のどこかで音楽は続けたかったんでしょうね。だから、就職活動もしなかった。結局、卒業した後は、地元・茨城に帰ってきました。一時期は、飯嶋先生に紹介していただいたフルートの先生のもとで勉強していたんですけど、いろいろあって行かなくなって。
――茨城へ戻ってからも就職はしなかったんですか?
上原 しなかったです。父が保険の代理店業をしていたので、そこでお手伝いをしていたのですが、立命館に行ったのにフリーターですから、やっぱりケンカをしてしまう。1年くらい手伝った後は、CDショップや衣料店、結婚式場などでバイトをしていたのですが、見るに見かねた父から「自分の仕事を継がないか」って言われたんですね。私も特にやりたいことがないから、「やってみようかな」と。ただ、保険を扱うには知識や経験がないといけないと思ったので、地元で募集していた大手損害保険会社の契約社員になることにしました。そこから10年働きましたね。

