消化不良の大学時代

――関東から関西の大学へ。環境もまったく変わったと思います。

上原 茨城から突然関西へ来て、友だちもいない。これは言い訳ですけど、私が入学した常総学院の特待クラスは、スポーツクラスと言われる学科でした。野球部、サッカー部、柔道部、ラグビー部とスポーツに特化したクラスがある中で、なぜか吹奏楽部もスポーツクラス扱いでした。先生たちもそれを理解した上で授業をするので、スポーツクラスの生徒は勉強は二の次でいいみたいな雰囲気だったんですよ。

 ほとんど勉強をしない3年間だったので、大学に行ったはいいものの、「あれ? どうやって勉強ってするんだっけ?」となってしまいまして(笑)。やる気も起きなくて、2年間で24単位ぐらいしか取れず、これはやばいなと。3年生、4年生のときに必死になって挽回して、何とか4年で卒業こそしたものの、消化不良の大学時代になってしまったと思います。

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――その間、オーケストラ部には行っていたんですよね?

上原 行ってました。ただ、恥ずかしい話なんですけど、フルートって花形の楽器なので、誰がどこを演奏するかで揉めがちなんですよ。やっぱり目立ちたいから、みんなおいしいところを吹きたがる。いつもケンカが発生するので、それに嫌気がさして、途中から行かなくなってしまって。

――オーケストラの調和とは程遠い……(笑)。

上原 とは言え、フルートは続けたかったから、先輩が紹介してくださった大阪フィルハーモニーというプロのオーケストラでフルート奏者をしていた飯嶋豊先生のレッスンには通っていました。そこだけは辞めなかった。飯嶋先生は、プロのフルート奏者をたくさん育てている方だったので、自分にもチャンスが巡ってくるかもしれないと思ったんですね。

©︎細田忠/文藝春秋

 先生には、大学を辞めてフランスにあるパリのエコール・ノルマル音楽院へ留学したいとも相談しました。大学への熱はないから、「今すぐにでも退学したい」と伝えると、「学歴として残したほうがいいから卒業だけはしなさい。卒業して、まだその熱があったら留学を考えよう」とアドバイスしていただいて。

 それで必死になって単位を取ったのですが、結果的にそれがかえって音楽への熱を冷ましてしまったというか。もしあのとき、思い切って決断していたら、また違った人生になっていたかもしれません。

次の記事に続く 「謝礼はお花でいいですか?」と言われ絶句…SNSで話題のマッスルフルート奏者・上原麻衣が語る、プロでも「食べていけない」音楽界のリアル

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