交際相手らを殺害した後、栗田は総武グループを辞め、盗みを本業に福島市、郡山市、宇都宮市など土地勘のある場所を転々とする。

 1950年には窃盗で捕まり懲役10ヶ月の判決を受け秋田刑務所に服役。出所後も仙台に拠点を移し盗みを続けていた。

 1951年8月8日昼間、栃木県小山市に現れ、酒を飲みながら泥棒に入る家を物色していたところ、ある一軒の民家の窓から、蚊帳の中で赤ん坊と眠る24歳の母親が目に入った。

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 その姿に欲情を催すや迷うことなくズボンを脱ぎ屋内に侵入。目を覚まし悲鳴をあげそうになった女性を無理やり押し倒し強姦、布で首を絞め殺害する。

 その後、家の中を物色し着物や帯などを盗み出し、部屋を出る前に遺体に布をかけて屍姦。台所にあった炊事用の鍋や釜を庭に埋め、勝手口で大便をしてから被害者宅を後にした。

 なぜ犯行と関係のない調理用具を庭に埋めたのかは不明だが、当時は犯行現場で排泄をすると度胸がつく、落ち着くという説があったという。

 なお、このとき室内にいた赤ん坊は無事だった。

長男と長女を崖から投げ落とし…

 2ヶ月後の同年10月10日夕方、栗田は千葉県勝浦市の国鉄外房線・上総興津駅に姿を現す。ここで偶然知り合ったのが、行商に出たまま戻らない夫を探しに来ていた母子4人。栗田は当時29歳の母親に欲情し、「家まで送る」と嘘をついて彼女らと行動を共にする。

 道中、母親に何度「やらせろよ」と誘っても、全く相手にされない。いらいらを募らせたまま、小湊町のおせんころがし付近まで来たとき、思いどおりに事が運ばない怒りと性欲が頂点に達し、6歳の長男と11歳の長女を拾った石でめった打ちにしたうえで崖から投げ落とす。

写真はイメージ ©getty

 続いて、母親が背負っていた3歳の次女を強引に奪い取り、自転車に積んでいたムシロを地面に敷いて母親を強姦。

 命乞いをする彼女の首をヒモで絞めて殺害し、遺体を崖下に投げ落とした。